赤い縄(一)

杜陵(とりょう、陝西省)に韋固(いこ)という人がいた。幼い頃に両親を亡くしていたので、早く妻を迎えて家庭を持ちたいと思っていた。心当たりに縁談を頼んでいたのだが、決まってあと少しというところで破談になるのであった。


貞観(じょうがん)二年(628)に清河(河北省)へ行く途中、宋城(河南省)の南の村に泊まった折、そこで知り合った人から前任の清河司馬の潘氏の娘との縁談を勧められた。


「私は潘殿と懇意(こんい)にしておりますからね。もしその気がおありなら紹介してさしあげますよ。明日の夜明け前に龍興寺(りゅうこうじ)の山門の前で落ち合いましょう」


夜明け前、早起きをした韋固は斜めに傾いた月を眺めながら村の西はずれにある龍興寺へと向かった。着いてみると、待ち合わせの相手はまだ来ておらず、一人の老人が山門の階段に腰を下ろしていた。老人は傍らに置いた大きな袋に寄りかかって、月明かりの下で帳簿を調べていた。韋固は近寄ってのぞいてみると、見たことのない文字がびっしりと書き込まれてあった。韋固は老人に声をかけた。


「ご老人がごらんになられているのは一体何の帳簿でしょうか? 私、これでも幼い頃から勉学に励み、たいていの文字は見知っております。遠い西国の梵字も読むことができます。しかし、その本には見たこともない文字ばかり書かれております。どういう文字なのでしょう?」


すると、老人は笑って答えた。


「これは人間界の文字ではないからの、読めなくて当然じゃ」


「人間界のものでないのならば、何なのでしょう?」


「あの世の文字じゃよ」


「ご老人があの世の方なのなら、どうしてここにおられるのです?」


「たまたまお前さんが早起きをしてここに来たから、わしがここにおるのを見かけただけじゃよ。そもそもあの世の役人はこの世の人間のことをつかさどっておるのじゃ。そのためにはこの世に様子を見に来なければならぬじゃろう? そこいらを歩いておる人間にしたって、その半分は幽鬼なのじゃからな。もっともお前さん達人間には見分けがつかんじゃろうがな」


「で、ご老人は人間の何をつかさどっておいでなのですか? 富貴ですか? 出世ですか?」


「わしはな、あらゆる人間の婚姻(こんいん)をつかさどっておる」


韋固は「婚姻」と聞いて喜んだ。


「それこそ私の知りたくてならなかったことです。私は幼い頃に両親と死に別れ、常々早く妻を娶って家庭を持とうと心に決めておりました。しかし、この十年、あちらこちらに縁談を求めて来たのですが、どうもうまくいきません。今日こうして早出をしたのも、潘司馬の娘との縁談を進めてくれるという人と待ち合わせをしているからです。ご老人、この縁談はうまくいくでしょうか?」


「今回もだめじゃな。縁がない。縁がなければ、たとえ高官の子弟が屠殺人の娘を娶ろうとしても、こればかりは無理なのじゃ。お前さんの未来の嫁ごはまだ三歳じゃ。十七歳でお前さんのところへ輿入れしてくることになっておる」


未来の妻がまだ三歳と聞いて、韋固は力が抜けてしまった。


「はあ、三歳ですか。ところで、ご老人、その袋には一体何が入っているのでしょうか?」


「袋の中身は赤い縄じゃよ」


老人はそう言って袋をポンと叩いた。


「これで夫婦になる定めの男女の足をつなぐのじゃよ。生まれた時にこの赤い縄でつなぎ合わせれば、それが仇同士であろうと、身分に隔てがあろうと、遠方に離れ離れに住んでいようと、必ず一緒になるのじゃ。もちろんお前さんの足も、三歳の嫁ごとつないであるぞ。ほかに縁談を求めるなど無駄なことじゃ」


「私の未来の妻はどこにいるのでしょう? どういう家の娘でしょう?」


「村の北に陳婆さんという野菜売りがおる。お前さんの嫁ごはその娘じゃよ」


「会うことはできますか?」


「婆さんはいつも娘を抱いて市場へ野菜を売りに来るからの。わしについて来れば、教えてやろうぞ」


夜が明けたが、待ち合わせをした相手は来なかった。



(つづく)