明の崇禎(すうてい)十三年(1640)のことである。 山東諸州ではここ数年来の旱魃(かんばつ)で凶作が続いていた。この年、ついに大量の流民が故郷を捨て、食べ物を求めて南京へ流れ込んだ。そのため南京ではあちこちの軒下で雨露をしのぐ乞食の姿が見られ…
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