2012-01-01から1年間の記事一覧

柳生

東呉(江蘇省)の柳生(りゅうせい)は隣家の娘、蕭点雲(しょうてんうん)に恋い焦がれていた。ある日、その家の前を通りかかると、点雲が扉に寄りかかって外をながめていた。この時、柳生は少しばかり酒を飲んでおり、酔った勢いで言い寄った。 「点雲ちゃ…

『金瓶梅』異聞

明の王世貞(おうせいてい)の父親は尚書の唐順之(とうじゅんし)と不仲であった。順之は権力を握ると、口実を設けて世貞の父親を捕らえ、獄に下して殺した。父が殺された時、世貞はまだ幼かった。 後に世貞は優秀な成績で進士となり、翰林院(かんりんいん…

下男と下女

建徳(浙江省)の虞敬(ろけい)という人が厠に入ると、草を手渡す者があった。不思議なことにその者の姿は見えなかった。このようなことが一度だけでなく、たびたびあった。ある時、虞敬はいつものように厠に入ったのだが、誰も草を渡す者がない。しばらく…

柏の枕

焦湖に廟がある。そこの廟守が柏で作った枕を持っていた。かれこれ三十年ばかりになる年季物で、後ろはひび割れて穴があいていた。 単父県(ぜんぽけん、山東省)の湯林という人が行商の途中、ここに立ち寄りお参りをした。他の参拝客はおらず、廟守が一人暇…

盧忻の前世

代州[山享](かく)県(山西省)の盧氏に忻(きん)という息子がいた。三歳でもう話すことができ、母親に向かって前世のことを話した。 忻は前世では回北村の趙氏の息子であった。十九歳の時、山で牛を放牧していたところ、折しも秋雨で濡れていた草に足を…

蕭家のお嬢様

饒州(じょうしゅう、江西省)の連少連は独り身で、母と貧しい暮らしを送っていた。ようやく、金持ちの家の住み込みの家庭教師の職にありついた。 ある晩、紫色の衣を着た老婆が現われて、こう言った。 「あなたによい縁談を持ってきてあげましたよ。東隣の…

回々(フイフイ)

明の弘治年間(1488〜1505)、朝貢のために中国を訪れた回々の一行が山西の某所を通りかかった。ちょうど山のふもとに差しかかった時、付近の住民が争って泉から水を汲むのを目にした。回々は泉の様子を眺めていたのだが、何を思ったか従者に向ってこんな命…

僕僕先生

僕僕先生がどこの誰なのかはわからない。自ら姓を僕、名を僕と称し、どこから来たのかもわからなかった。 僕僕先生は光州楽安県(山東省)の黄土山(こうどさん)に住み、三十年あまりの間、自ら練り上げた杏丹(きょうたん)という薬を服用した。その暮らし…

夫婦愛

北宋の劉廷式(りゅうていしき)はもとは百姓であった。若い頃、隣家に住む貧しい老人の娘と婚約した。 数年後、刻苦勉励の末、廷式は見事科挙に合格した。郷里に戻り、隣家の老人を訪ねたところ、すでに老人は亡くなっていた。残された娘も病気のために両目…

葉薦の妻

台州(浙江省)の司法、葉薦(しょうせん)の妻は嫉妬深く、残忍な性格をしていた。小間使いや下女に少しでも器量のよい者があれば、必ずむち打って痛めつけた。時には死に至らしめることもあったが、葉には止めることができなかった。 夫婦には子供がなく、…

玉女

唐の開元年間(713〜741)のことである。華山(陝西省)の雲台観に玉女(ぎょくじょ)という下女がいた。四十五歳の時、大病を患い、全身に腫れ物ができ、つぶれて悪臭を放った。観中の人々は病がうつることを恐れて、玉女を山奥深くの谷川の近くに捨てた。…

伯裘

南朝宋(420〜479)の時のことである。 酒泉郡(甘粛省。しかし、宋に酒泉郡はない)では太守が着任して間もなく死ぬという不思議な事件が続発した。 何人かの太守が不審な死を遂げた後、渤海(ぼっかい)の陳斐(ちんはい)に酒泉太守の辞令が下った。呪わ…

それ

宋の元嘉元年( 424)のことである。南康(なんこう)県(江西省)の区敬之(おうけいし)が息子とともに小舟で県城から川をさかのぼり、小さな谷川の奥深くに入り込んだ。谷は険しく、人がまだ足を踏み入れたことのないようなところであった。日が暮れたの…

晏家の乳母

晏元献(あんげんけん)の家に燕(えん)氏という年老いた乳母がいた。晏家に仕えて数十年になり、家族から丁重に扱われていた。 燕氏が死んだ後も晏家では季節ごとにその霊を祀っていた。ある時、燕氏が家族の夢に現われてこう言った。 「皆様のおかげで、…

飛雲渡

温州(浙江省)の瑞安(ずいあん)に飛雲渡(ひうんと)という渡し場がある。激しい風浪がしばしば船を覆し、多くの人命が失われた。 ここ瑞安に一人の少年がいた。その行ないは奔放不羈(ほんぽうふき)で何物にもとらわれなかった。 かつて少年は占い師に…

芭蕉

蘇州に馮漢(ふうかん)という学生がいた。石碑巷(せきひこう)の近くに小さな書斎を構えていたのだが、その中庭にはとりどりの花や木が植えてあり、なかなかに見るものがあった。 ある夏の夕暮れ、風呂上がりの馮漢が腰掛に坐って涼んでいると、どこからか…

幽霊屋敷

献県(河北省)の東にある淮鎮(わいちん)に、馬氏が住んでいた。この馬氏の家で、ある日、突然、奇妙なことが起こるようになった。石や瓦が投げ込まれたり、不気味なすすり泣きが聞こえたり、誰もいないところから火が出たり、という奇怪な現象が一年あま…

郭璞

晋の中興(東晋の成立)のはじめに、郭璞(かくはく)は卦で自分が不吉な最期を遂げることを知った。 ある時、建康(現在の南京)の堤(つつみ)を歩いていて、一人の少年を見かけた。その日はたいそう寒かったが、少年は単衣(ひとえ)しか着ておらず、懐に…

大力長者

北斉の稠(ちゅう)襌師は幼くして出家した。当時、寺には腕白ざかりの小坊主がたくさんおり、休憩時間になると相撲をとって遊ぶのが常であった。稠襌師は生来ひ弱だったので、小坊主達の格好な標的となった。相撲を取ると称してはつき転がされ、いじめの対…

雷神

鉛山(えんざん、江西省)の男が美しい女に思いを寄せた。しかし、女には夫があり、容易にはなびかなかった。 ある時、女の夫が病気になった。大雨が降り、昼間でも暗い日であった。男は派手な模様の着物に作り物の翼を着け、雷神の装いをした。そして、女の…

李載

大暦七年(772)、大理評事の李載(りさい)が監察御史を兼任し、福建の節度観察を代行した。李載は建州浦城(ほじょう)に役所を設置したのだが、浦城から建州までは七百里(当時の一里は約 560メートル)離れており、その地は瘴気(しょうき)に満ちていた…

二人の妾

靖康二年(1127)の春、都は陥落し、連日、金軍の略奪と暴行にさらされた。多くの軍民や官吏、皇族や妓女、役者が連行された。 ある朝、朝廷に仕える官吏の王なにがしの邸の門前に二人の女が坐り込んでいた。使用人が門を開けると、女達は中に駆け込み、王の…

海井

華亭県(現在の上海付近)の市中に小さな雑貨屋があった。雑貨といっても役に立つのかどうかわからないような小物を並べているだけである。そこに、ある時、小さな品が並んだ。 一見すると底のない小さな桶のよう。材質は竹でもなければ木でもなく、金でもな…

生きていた死刑囚

順治年間(1644〜1661)、山東の張立山が開化(浙江省)の県知事となった。木子雄(もくしゆう)という男が財産を奪うために殺人を犯して、死刑を言い渡された。後は刑の執行許可が下るのを待つばかりであった。 たまたま張立山の親が死んだため、郷里に戻っ…

丹陽の虎

丹陽(たんよう、江蘇省)の沈宗(しんそう)は県城で占いを生業としていた。 義熙(ぎき)年間(405〜418)に、左将軍の檀侯(だんこう)が丹陽の姑孰(こじゅく)に駐屯した。檀侯は狩りを好み、特に虎狩りを盛んに行なった。 ある日、沈宗のもとを一人の…

浦城(ほじょう、福建省)と永豊(えいほう、江西省)の県境の街道沿いに一軒の旅籠があった。厳州(浙江省)の商人が絹糸の荷をたずさえて、この旅籠に数日の間泊まった。旅籠の主人の妻は色好みで、商人を誘って関係を結んだ。 妻は夫に言った。 「あの客…

王季徳の棺

王季徳(おうきとく)は平江(へいこう)府(江蘇省)に赴任して一か月で死去した。部下達が金を出し合って棺を用意した。いざ納棺しようとすると、突然、死体がふくれ上がって納めることができなくなった。 この怪異な現象に皆が首をひねっていると、王季徳…

貧士の予言

王衍(おうえん)は二十歳の時、受験のため明州(浙江省)から上京した。 合格発表の前日、金のない王衍は遊びに行くこともできず、一人、旅籠(はたご)に残っていた。そこへ、どこからか貧しそうな身なりの士人がやって来てていねいにお辞儀をした。てっき…

壮絶孝子

庚子の年(康煕五十九年、1720)の中元の日、私(作者、金埴のこと)は河間(河北省)の北の二十里鋪というところに泊まった。旅の埃を落そうとたらいで水浴びをしていると、突然、触れ回る大声が聞こえてきた。 山東の孝子が母を背負って災害から避けてここ…

狐総管

都の西単牌楼(せいたんはいろう)に大きな貸し家があった。狐が棲みついたために、借り手がなかった。家賃を得られないことに腹を立てた家主は、自ら貸し家に出向いて狐を罵った。 その晩、家主の幼い子供がいなくなった。家族総出で探し回ったところ、子供…