2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

三娘子

広東潮州府(ちょうしゅうふ)掲陽県(けいようけん)の趙信と周義は親しい友人であった。二人で南京へ布の買いつけに行くことになり、船頭張潮(ちょうちょう)の船をやとい、翌日の夜明けに船で落ち合う約束をした。 出発の当日、趙信は早々と一人でやって…

剣仙

宋の煕寧(きねい)年間(1068〜1077)のことである。 太廟(たいびょう、歴代天子の霊を祭る廟)の神官に姜適(きょうせき)という人がいた。山東の人で、枢密(すうみつ)の姜遵(きょうじゅん)の孫であった。 この姜適が都の開封(かいほう、河南省)で…

頭痛

曲阿(きょくあ、江蘇省)の彭星野(ほうせいや)に秦瞻(しんせん)という人がいた。 ある時、昼寝をしているとどこからかなまぐさい臭いがしてきた。はっと目覚めてみれば 、目の前に蛇がいた。蛇は秦瞻の顔近くにはい寄ると、鼻の孔(あな)にもぐり込ん…

広東(カントン)のある寺に、一人の年老いた僧侶がいた。貧苦の中で修行をし、厳格に戒律を守っていた。 ある夏の日のこと、旅の道士が寺に一夜の宿を泊めた。僧侶が、 「我が寺はむさ苦しく、仙師(せんし)をお泊めできるところではありませぬ。もしそれ…

賄賂

五代の後唐のことである。 鎮州(河北省)の劉方遇(りゅうほうぐう)の家は裕福で、数十万の財産を蓄えていた。妻の田氏は早く死に、その妹は尼僧となっていたが、ひんぱんに方遇の家の出入りしていた。方遇はこの義妹を還俗させて、後添いに迎えた。 妻の…

狐憑き

宣府(山西省)赤城衛の武官に郭應忠(かくおうちゅう)という人がいた。陜西から来た同じ武官の張某と懇意にしており、娘と張家の息子の間には婚約が調っていた。張家は非常な物持ちで、婚礼を挙げたら陜西へ戻るつもりであった。これに應忠は難色を示した…

白石

臨川(りんせん、江西省)の岑(しん)氏が遊山に出かけた時、谷川で二つの白い石を見つけた。大きさは蓮の実くらいで、互いに追いかけ合うように水の中を転がり回っていた。不思議に思った岑氏は石を拾い上げて持ち帰ると、小箱に納めた。 その夜、夢に二人…

王瓊

唐の貞元年間(785〜805)初めのことである。丹陽県(江蘇省)知事の王瓊(おうけい)は任期が満ちた後、都に呼び戻された。その後、三年の間、任官できず、悲嘆に暮れていた。 王瓊は茅山(ぼうざん、江蘇省)の道士葉虚中(しょうきょちゅう)のもとで物忌…

逃げる女

宋の紹興(しょうこう)年間(1131〜1162)はじめのことである。陳監倉(ちんかんそう)という人が北から家族を連れて逃れてきて、邵武軍(しょうぶぐん、福建省)に居を定めた。陳監倉には陳淑(ちんしゅく)という年頃の娘がおり、艶麗な上にたいそう聡明…

紅蜘蛛

建寧(けんねい)府(福建省)に娘を二人持つ人がいた。その家の向かいには大きな山があった。 娘達はそれぞれ嫁いでいたが、正月なので里帰りしてきた。久しぶりに会った姉妹二人は実家の花園で積もる話でもしようということになった。 「キャッ!」 花園に…

超絶技巧

唐の穆宗(ぼくそう、在位821〜824)の時のことである。 飛龍隊の衛士に韓志和(かんしわ)という人がいた。もとは倭国の人である。倭国で何をしていたのか誰も知らなかったが、木彫りの技術に非常に優れていた。彼が彫った鳥は餌をついばんだりさえずったり…

狐の仇討ち

嘉慶(かけい)十年(1805)のことである。 陝西(せんせい)の甘棠(かんとう)県に高中秋(こうちゅうしゅう)という人がいた。その行ないは無頼(ぶらい)で、美しいひげを垂らした身の丈八尺(当時の一尺は32センチ)の偉丈夫であった。 ある時、山で狩…

南海(広東省)の黄なにがしは質屋で出納係をしていた。妻は死刑執行人の娘であった。 まだ嫁ぐ前、胸の病による発作に苦しんだ。父親が人の肝と薬をまぜて飲ませたところ、痛みがおさまった。その後も発作に見舞われると、数日間、苦しみ叫んだ。父親は処刑…