赤い縄(二)

老人は本を閉じて立ち上がると、袋を担いで歩き出した。韋固もその後について行った。市場に着くと、一人の老婆が市場へやって来るところであった。老婆は片目がつぶれており、身なりもたいそうみすぼらしい。その懐には三歳ばかりの幼女がぼろにくるまれて抱かれていた。


老人は指さして言った。

「あれが未来の嫁ごじゃよ」


老婆と幼女のあまりのみすぼらしさに、韋固は馬鹿にされたような気持ちになった。


「殺してもよいでしょうか?」


「あの娘は天禄を受ける運命にある。将来、子供が高い位につき、そのために領地を賜わることになっておるのじゃ。殺すことができようはずがない」


老人はそう言って、いずこへか姿を消した。韋固は悪態をついた。


「老いぼれ幽鬼め、でたらめもいい加減にしろ。おれはいやしくも士大夫の家柄の生まれだぞ。妻を娶るなら、釣り合った家柄でなくてはならん。もしも、娶ることができなければ、その時には妓女の中から容姿の優れた者を選んで、妻とするまでだ。何を好き好んで、片目の婆さんの小娘を娶らねばならんのだ」


そして、宿に戻ると、鋭い小刀を下僕に渡して言った。


「お前を見込んで頼みがある。市場に三歳くらいの娘を抱いた片目の婆さんがいる。私のためにその娘を殺してくれたなら、銭一万貫を与えよう」


「旦那様のためなら」


下僕は承知した。


翌日、下僕は小刀を袖に隠して市場へ行った。人ごみにまぎれて老婆に近づくと、抱いた幼女に小刀を突き立てた。


「キャーッ!」


幼女が悲鳴を上げ、市場は大騒動になった。下僕は騒ぎに乗じて、市場を抜け出した。


韋固は首尾が気になって、少し離れたところで下僕を待っていた。市場で悲鳴が聞こえたかと思うと、下僕が逃げて来た。二人は用意した驢馬に飛び乗り、できるだけ遠くへ逃げた。追っ手の来る恐れのないところまで逃げたところで、下僕は言った。


「心の臓を一突きにしようとしたのですが、それて眉間(みけん)に中りました」


眉間なら命はあるまい、と韋固は思った。その後、韋固のもとには何度も縁談が来たが、どれもまとまらなかった。


韋固が不思議な老人と出会ってから十四年の歳月が流れた。彼は父の功績により、相州(河南省)の参軍に任じられた。刺史の王泰(おうたい)のもとで司法関係の事務処理一切をまかせられたところ、見事な手腕を発揮した。王泰は韋固を信任し、娘を妻として与えた。


王刺史の娘は年の頃は十六、七でたいそう美しかったので、韋固はすこぶる満足した。ただ、いつも眉間に花飾りをつけており、入浴の際にもはずしたことがなかった。


一年あまりも経つと、韋固も不審に思った。その時、ふと下僕が眉間を刺した娘のことを思い出した。韋固は妻に花飾りをつけている理由をたずねた。すると、妻ははらはらと涙を流しながらこう答えた。


「私は刺史の実の娘ではありません。姪です。父は宋城の県令をしておりましたが、私が生まれてすぐに亡くなりました。その後、母も兄もあいついで亡くなり、残されたのは宋城の南にある小さな荘園だけになりました。親戚も遠方におり、引き取り手のない私を、不憫に思って乳母の陳氏は荘園に留まり、野菜を売りながら育ててくれました。陳氏は市場へ行く時には必ず私を抱いて連れて行ったのですが、三歳の時、何者かに眉間を刺されたのです。命は取り留めましたが、傷跡が残りましたので、こうして花飾りで隠しております。七、八年前、叔父が盧龍(ろりょう、河北省)の従事になって、私を引き取り、養女としてくれました」


妻の話に韋固はじっと考え込んだ。


「陳氏は片目ではなかったか?」


「はい。どうしてご存知なのでしょう?」


「お前を刺させたのはこの私なのだ」


韋固は驚く妻の手を取ってわびた。


「ああ、何という奇妙なめぐり合わせだ、これが運命というものか」


韋固はひとしきり感嘆した後、くわしく経緯(いきさつ)を語って聞かせた。


夫婦はいっそう深く慕い合うようになり、妻は一子を産んだ。子供は鯤(こん)と名づけられ、後に雁門(がんもん、山西省)太守となった。妻は太原郡太夫人の称号を得て領地を賜わった。すべては老人の言った通りになったのであった。


宋城の県令がこの不思議を伝え聞いて、南の村を「定婚店」と名づけた。



(唐『続玄怪録』)



游仙枕―中国昔話大集 (アルファポリス文庫)

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