樹下の美女

太原(山西省)の王垂(おうすい)と范陽(はんよう、河北省)の廬収(ろしゅう)は親友同士であった。唐の大暦(たいれき)年間(766〜779)初めに、二人は舟で淮南(わいなん)と浙江(せっこう)の間を旅した。


石門駅の近くの樹下に一人の女が立っていた。女は非常な美貌で、また華やかに装って、肩に錦の袋をかけていた。


「おい、あんなところに女が一人でいるぞ。重そうな袋だな。きっと金目の物が入っているんだろう。うまくいけば、女も袋も、ものにできるかもしれないぜ」


二人は女から見える場所に舟を泊めた。案の定、女は声をかけてきた。


「あなた達の舟はどこへ行くのです? 私を乗せてもらえませんか? 実は主人が嘉興(かこう、浙江省)で病にかかり、見舞いに行く途中なのですが、足が痛くてこれ以上歩けないのです」


二人は女の頼みを快く引き受けた。


「空きならまだありますから、どうぞお好きに使って下さい」


女は袋を持っていそいそと舟に乗り込み、舳先(へさき)近くに腰を下ろした。


二人はしばらく女と世間話をしていたのだが、次第にその態度はなれなれしいものになっていった。すると、女は顔色を変えて言った。


「身を預けた者に対して、どうして無礼なふるまいをなさるのですか?」


この言葉に、二人は真っ赤になって恥じ入った。


王垂は琴の名手であった。彼は琴の音色で女の気を引こうと思い、一曲、奏でた。女は琴の音色を聞くなり、顔に喜びの色を浮かべた。女の美貌にさらに輝きが加わり、王垂と廬収はうっとりした。


「もしかして、奥さんは琴がお上手なのではありませんか」


「子供の頃に少し習ったことがある程度ですわ」


「ご謙遜を」


王垂が琴を渡すと、女は『軫泛弄(しんはんろう)』というもの悲しい曲を奏でた。


「こんな曲、はじめて聞きました。まるで、卓文君(たくぶんくん)の心情
を見る思いです」


王垂が絶賛すると、女は、


「あなたこそ、司馬相如(しばしょうじょ、前漢文人。琴の音色で卓文君を誘惑して駆け落ちした)のような深いお心をお持ちのようですわね」


と笑った。これをきっかけに王垂と女はすっかり打ち解けた。


その夜、王垂は機会を捉えて女と舳先で二人きりになった。一人のけ者にされた廬収は、夜中に女の袋を探ってみた。袋にはいくつもの髑髏が入っていた。廬収は驚いた。女の正体は幽鬼だったのである。


廬収は王垂にこのことを知らせようと思った。しかし、王垂は女との睦言の真っ最中であった。


夜が明けると、女はちょっとした用事で岸に上がった。その間に廬収は王垂に女の正体を打ち明けた。


「どうしたらいい?」


王垂は真っ青になった。


「とりあえず、筵(むしろ)の下に隠れろ」


王垂が隠れたところへ、女が戻ってきた。


「王さんはどちら?」


「用足しで、岸に上がりましたよ」


廬収はそう言って女をだました。女はその言葉を聞くなり、舟から飛び降りてものすごい勢いで走り出した。女が舟からかなり遠くまで行ったところで、廬収は王垂を筵の下から呼び出した。そして、二人で力を合わせて舟を漕いだ。岸がみるみる遠のき、女の姿は見えなくなった。数十里(当時の一里は約 560メートル)ほど離れたところで、二人はようやく舟を漕ぐ手を止めた。そして、舟のひしめき合うところに、隠れるように舟を停泊させた。


その真夜中に、女が舟に現われた。女は体中に目があり、腥(なまぐさ)い臭いを発していた。女は王垂の首をつかんで自分に引き寄せて咬んだ。王垂は苦痛に泣き叫んだ。廬収が大声で助けを呼んだので、周りの舟から人々が集まってきた。その時には、女は姿を消していた。


翌朝、筵の上に死者に供える紙でできた櫛が落ちていた。


数か月後に、王垂は死んだ。



(唐『通幽記』)



中国奇譚 (アルファポリス文庫)

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