2011-01-01から1年間の記事一覧

石氏の娘が尤郎(ゆうろう)に嫁いだ。夫婦の情愛はいたって睦まじかった。 尤郎が遠方へ行商に出ることになった。石氏は懸命に行かせまいとしたのだが、尤郎は聞き入れなかった。いつまで経っても尤郎は戻ってこず、夫への思いを募らせた石氏は病に臥す身と…

美貌の女師匠

明の成化(せいか)十三年(1477)七月十三日の夕暮れのことである。真定府(河北省)晋州(しんしゅう)聶村(じょうそん)の秀才高宣(こうせん)の家の門を一人の女が叩いた。女はすらりと背が高く、美貌であった。女は、 「趙州(河北省)の張林の妾です…

名犬的尾

晋の太興(たいこう)二年(319)のことである。 呉地方の華隆(かりゅう)という人は猟を好んだ。一匹の猟犬を飼っており、的尾(てきび)と名付けて常に猟に連れて行った。 その日、華隆は舟で揚子江の岸辺に葦(あし)を刈りに行った。華隆は舟に従者を残…

銀器職人の童

楽平(がくへい、江西省)桐林(とうりん)市の銀器職人の童は、徳興(とくこう)の張舎人(ちょうしゃじん)の家で銀器を作っていた。 毎晩、童が仕事をしていると、決まって二十歳あまりの美しい女がが酒肴を携えてやって来た。女は童と一緒に酒を飲み、飲…

皇帝と道士

唐の玄宗(げんそう)皇帝は珍しもの好きであった。最近では特に道術に大いに興味を抱いていた。その不思議さを目の当たりにするにつれ、自分でも習得して皆を驚かせてみたいと思うようになった。そこで道士の羅公遠(らこうえん)に頼み込んで、隠形(いん…

宰白鴨

福建のショウ州、泉州では凶悪な事件がきわめて多い。金持ちが人を殺した時には、貧乏人に多額の金を渡して自分の身代わりにする。貧乏人は金のために殺人犯として出頭し、死刑に処せられるのである。どんなに賢明な役人でも、やめさせることはできない。こ…

金君卿

荊南(けいなん、湖北省)の某太守に娘がいた。十八歳の時に縁談がまとまり、吉日を選んで輿入れする運びとなった。 ある晩、娘は夢でこう告げられた。 「これは汝の夫にあらず。汝の夫は金君卿(きんくんけい)なり」 娘は目を覚ましてからもこのことは誰に…

小夫人と千人の戦士

昔、恒水(こうすい、ガンジス川のこと)の上流に一国があった。その王の小夫人が肉塊(にくかい)を産み落とした。大夫人は妬んで、 「不祥(ふしょう)の兆しを産み落とした」 と言って、肉塊を木箱に入れて恒水に捨ててしまった。 下流の国の王が恒水のほ…

紫雲観の女道士

唐の開元二十四年(736)の二月、玄宗は洛陽に行幸した。当時の河南尹(いん、長官)は李適之(りせきし)であった。 その日、洛陽一帯では大風が吹き、玉貞観に一人の女道士が飛ばされてきた。その噂を聞きつけて参拝客が集まり、玉貞観(ぎょくていかん)…

羊になる

都のある士人の妻はたいそう嫉妬深かった。ささいなことで悋気(りんき)を起こしては夫を罵り、ひどい時にはむちで打った。そして、いつも夫の足に長い縄を結びつけ、用のある時にはこの縄を引っ張って呼んでいた。 これにたまりかねた夫はひそかに出入りの…

蟻の王

呉(ご)の富陽(ふよう)県(浙江省)の董昭之(とうしょうし)が船で銭塘江(せんとうこう)を渡った。江の中ほどまで来たところで、水に浮いた葦の上に一匹の蟻がいるのを見かけた。蟻は葦の端まで行っては戻ることを繰り返していた。 「死ぬのがこわいん…

王氏の娘

四川内江(ないこう)県に王氏という名家があった。娘は早くに富豪のトウなにがしと婚約していた。 王氏の娘は豊満な体つきをしており、特に腹のあたりがふっくらしていた。そのため、口さがない人々は、 「はらんでるんじゃないか」 と、うわさし合った。や…

陳敏

陳敏は江夏(こうか、湖北省)太守となった時、宮亭廟(きゅうていびょう)に銀の杖を奉納することを約束した。ところが、実際に奉納したのは、鉄の杖に銀を塗ったものであった。 このことに気づいた廟の巫人(ふじん)は、 「陳敏の罪は許せぬ」 と言って杖…

独角

独角は巴郡(はぐん、四川省)の人である。数百歳になると思われたが、その名前はすっかり忘れ去られていた。 頭のてっぺんに角が一本生えていることから、独角(どくかく)と呼ばれていた。 独角は何年もの間、姿を消していたかと思うとふらりと舞い戻って…

任氏(後編)

鄭が家に帰って間もなく韋が訪ねてきた。 「昨日は一体どうしたんだ。飲み屋でずっと待ちぼうけさせられたぞ」 となじった。鄭はひたすら謝って、任氏のことには一言も触れなかった。ただ、任氏の艶やかな姿が思い起こされ、何とかもう一度会えないものかと…

任氏(前編)

唐の玄宗(げんそう)の御代に韋崟(いぎん)という人がいた。母が王族の出身で若い頃から豪放磊落(らいらく)、酒好き、女好きでいわゆる侠気(おとこぎ)に富む気性であった。その従姉妹の婿に鄭六という者がいたが、この人も少年の時から武芸を習い、や…