2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

返生香

中国の遥か西方の聚窟州に神鳥山がある。神鳥山には楓とよく似た樹木が生い茂り、その花や葉の放つ芳香は数百里の先まで香った。返魂樹という。この樹はまた犀のような声を発する。これを聞いた人は皆、魂消てしまう。その根を切って玉の釜でとろ火で煮詰め…

冥府の鏡

青城(四川省)の室園山の僧侶、彦先(げんせん)は有徳の僧侶として人々の尊崇を集めていた。しかし、彦先には秘密があった。彼はかつて戒律を破ったことがあった。 ある時、彦先は室園山を離れて蜀州へ向かった。その途中、天王院に泊まった夜、病でもない…

壁画の美少女

江西(こうせい)の朱が北京に滞在していた時のことである。同郷の孟とともにに郊外のある寺を訪れた。老僧が一人住んでいて、二人が入ってくるのを見ると、出迎えて先に立って寺内を案内してくれた。 寺は小さかったが、本堂の壁画は実に見事で、人物など生…

取り替え子

陳素(ちんそ)という人は裕福であったが、妻を娶って十年になるというのに、いまだに子供に恵まれなかった。 人の勧めもあって後継ぎを儲けるために妾を入れることにした。それを知った妻が何とか子宝を授けてくれるよう先祖の霊廟に祈願したところ、めでた…

金の蝋燭

秦檜(しんかい)が権勢をふるっていた時のことである。雅州(四川省)の太守が秦檜の誕生日に山のような贈り物を整えたのだが、その中に百本の太い蝋燭(ろうそく)が百本あった。もちろん権勢家への贈り物なのだから、普通の蝋燭であろうはずがない。それ…

月から来た男

唐の太和年間(827〜835)のことである。二人の男が嵩山(すうざん、河南省)に登った。蘿(かずら)をよじ登り、渓流を踏み越えしているうちに奥深く入り込んでしまった。今まで誰も足を踏み入れていないような場所で、気がつくと道に迷っていた。そろそろ…

陳道人

建康(南京)の陳道人は検死役と親しくつき合い、いつも酒をおごっていた。 ある時、検死役が、 「あんたにはいつもよくしてもらってるから、何かお返しがしたい。望みを言ってくれ」 とたずねると、 「十七、八歳の健康な男の死体がほしいのですよ」 とのこ…

約束

長沙(ちょうさ、湖南省)の人、尤深は気韻(きいん)に富んだ美少年であった。彼は一人で湘渓(しょうけい)を散策した時、古い廟を見つけた。 垣根は崩れ、草はぼうぼうと生い茂り、どこにも人の気配がなく、さびれ果てていた。詣でる者のない祭壇には一体…

朱進馬の還魂

明の正徳二年(1507)に、陝西(せんせい)靖寧(せいねい)州の朱進馬(しゅしんば)の父が四川成都の属邑に教官として赴任することになった。進馬も父の赴任に随行した。父の任期が満ちて故郷に戻る途中、進馬は病気で死んだ。父は進馬の遺体を靖寧州に連…

妖猫

筆帖式(ビトヘシ、書記)の某公子の家は富裕であった。両親、兄弟共に存命で、家庭は円満、何一つ不足のない生活を享受していた。某公子の家は大所帯で、皆好んで猫を飼っていた。白いのや黒いの、斑(まだら)や縞など数え切れないほどであった。餌の時刻…

僧侶自焚

金の法では、女真人が漢地を治める時には必ず通事(通訳のこと)を置くことになっている。もちろん言葉が通じないからであるが、一切の意思疎通が通事を通して行なわれるため、賂(まいない)を受けて事実をゆがめることも多々あった。そういうわけで、ひと…

木鳶

魯般(ろはん)は敦煌(とんこう、甘粛省)の人である。いつの時代の人なのかはわからない。なぜなら、魯般の姿はどの時代でも見られたからである。 彼は創造性に富み、様々な仕掛けを作っては人を驚かせた。その魯般が涼州(りょうしゅう、甘粛省)で仏塔建…

美人画の怪

王なにがしの居室はいつも掃き清められ、趣味のよい調度が並んでいた。枕元には一幅の美人画がかけられていたが、これが見事な出来ばえで、今にも画中から美女が抜け出してきそうであった。 王が外出した晩、妻が一人で灯りに向かっていると、帳の紐の影が画…

恋しくて

鉅鹿(河北省)に庖阿(ほうあ)という人がいた。惚れ惚れするような美男子で、多くの娘から思いを寄せられていた。ただ、庖阿には妻がいた。それも飛びっきり嫉妬深い妻が。 同じく鉅鹿に石という人が住んでいた。この人に娘がいたのだが、何かの折に庖阿の…

ある結婚の話

天津(てんしん)の卞(べん)なにがしは南方へ従軍して功績を立て、千総(せんそう、士官クラス)の位を得て、哨官(百人を率いる隊長)となった。忙しい軍務の中、休暇を取って帰郷し、華氏を娶った。 婚礼の夜、卞は華氏とともに寝室に入ったのだが、非常…

二人の母

潁川(えいせん、河南省)に富豪がいた。兄弟で同居しており、それぞれの妻は懐妊していた。 数か月後、兄嫁は流産したのだが、このことを隠していた。弟嫁が陣痛を訴えると、自分も陣痛を訴え、ともに産屋(うぶや)に入った。弟嫁が男の子を産むと、兄嫁は…

蔡十九郎

紹興二十一年(1151)のことである。秀州(浙江省)当湖の魯生が試験に臨んだ。 初日が終わってから、間違いに気づいた。すでに答案を提出した後で、訂正するすべがない。翌日の試験では何も手につかず、机のそばをうろうろしながら、自分の失態を嘆いてばか…

廬陵(ろりょう)郡(江西省)の巴邱(はきゅう)に陳済(ちんせい)という人がいた。州の官吏となり、妻の秦氏を残して単身赴任することになった。 陳済が任地へ赴いてからしばらくして、秦氏の前に一人の男が現われた。堂々たる美丈夫で立派な身なりをして…

化火

蜀帝に公主が生まれた。蜀帝は乳母の陳氏に公主を養育させることにした。陳氏は幼い息子を連れて宮中に入り、公主とともに暮らした。 公主が年頃になり、陳氏母子は宮中を出た。陳氏の息子は公主に恋い焦がれて、重い病にかかった。 ある日、陳氏は宮中で公…

髑髏神

南宋の嘉煕(かき)年間(1237〜1240)のことである。 農村で十歳になる子供が突然、姿を消した。家族は祈祷師を呼んだり、近隣の村に立て札を立ててその行方を探し求めたのだが、杳として手がかりがつかめなかった。 子供が姿を消してしばらく経ったある日…

思索を練る場所

宋の銭思公(せんしこう)は富貴な生まれではあったが、嗜欲(しよく)の少ない人であった。かつて同僚にこんなことを言っていた。 「普段、好むことといえば読書だね。坐れば経史を読み、寝る時は小説を読む。厠(かわや)では詞を読むことにしてるんだ。今…

袁双の妻

東晋の太元五年(380)のことである[言焦](しょう)県(安徽省)の袁双(えんそう)は貧しく、雇い人として働いていた。 ある日のこと、夕暮れ時に帰宅する途中、一人の娘と出会った。年の頃は十五、六でたいそう美しい。娘は言った。 「あなたのお嫁さん…

紫玉

呉王夫差に紫玉という娘がいた。芳紀十八歳、才色兼備で、王は目に入れても痛くないほどの可愛がりようであった。 紫玉はふとしたことで韓重という美少年に思いを寄せた。密かに文をやり取りし、将来を誓い合う仲になった。重は当時十九歳で、斉魯地方(共に…

蕭県の陶工

鄒(すう)氏は代々、エン州(山東省)に住んでいたが、師孟(しもう)の代になって徐州(安徽省)の蕭(しょう)県北部の白土鎮に移り、陶工の親方となった。 白土鎮には三十あまりの窯(かま)があり、数百人の陶工が働いていた。その中に阮十六(げんじゅ…

玉の指輪

山東の徂徠(そらい)山に光化寺という寺があった。この寺の一室で年若い一人の書生が学問に励んでいた。 夏のある涼しい日、廊下で休みがてら壁面の書を読んでいた時のことである。どこからともなく白衣に身を包んだ美女が現れた。年は十五、六、楚々とした…

王鑑

エン州(山東省)の王鑑(おうかん)は豪胆で、こわいもの知らずであった。特に鬼神のたぐいの存在を認めず、侮蔑(ぶべつ)するような発言をはばからなかった。 開元年間(713〜741)に、王鑑は酔いにまかせて、馬で町から三十里(当時の一里は約 560メート…

詩人の魂

ある男が船で巴峡(はきょう、三峡下りの名所)を下っていた。夕方、船は小さな入江に停泊した。 夜もふけて、うとうとしはじめた時のことである。風に乗って詩を吟唱する声が聞こえてきた。 時に高く、時に低く、その声は孤独と悲哀に満ち、聞く者の魂を揺…

自白

遠くへ旅に出て長く家を空けていた男がいた。久しぶりに家に帰ると、妻が殺されていた。首は持ち去られていたが、衣服から妻とわかった。妻の実家に知らせに走ったところ、妻の両親は男が殺したものと思い、取り押さえ て役所につき出した。 「婿が娘を殺し…

霍丘(かくきゅう、山西省)の県令であった周潔が辞職して、淮水(わいすい)流域を旅していた時のことである。 当時、この地方は大飢饉(ききん)に見舞われ、街道筋の宿場はすっかりさびれ果て、どこにも泊まれるような宿はなかった。困り果てた周潔が丘に…

呉生の妾

江南の呉生(ごせい)は会稽(かいけい、浙江省)を旅した折に、劉氏を娶って妾にした。 数年後、呉生は雁門郡(山西省)のある県の知事に任じられ、劉氏を連れて赴任した。この頃から、呉生はあることで悩むようになっ た。劉氏の気性が変わってしまったの…