壁画の美少女

江西(こうせい)の朱が北京に滞在していた時のことである。同郷の孟とともにに郊外のある寺を訪れた。老僧が一人住んでいて、二人が入ってくるのを見ると、出迎えて先に立って寺内を案内してくれた。


寺は小さかったが、本堂の壁画は実に見事で、人物など生き生きと描かれていた。東の壁には天女散華の図があったが、その中に一人のお下げ髪の少女が花を手にして微笑んでいた。唇は桜桃のようで、こちらに流し目をくれているようであった。じっと見詰めている内に、朱は次第にうっとりとしてきて魂が抜け出て、壁画に吸い込まれて行くような感覚がした。


気がつくと、見知らぬところに来ていた。高殿や楼閣が重なっていて、人界ではないようである。一人の老僧が説教をしており、大勢の人々が取り巻いて聴聞していた。朱もその中に混じってしばらく説教を聴いていた。すると誰かが袖を引っぱるので、振り返ると、お下げの少女が立っていた。ニッコリ微笑んで、そのまま向こうへ行こうとするので、あわてて後をついて行くと、少女はとある小部屋に入った。朱がどうしたものかと入り口で立ち止まっていると、


「そんな所で何をしているの、お馬鹿さん」


と言って、少女が花を投げて寄越した。朱はその花を拾い上げると頭にさっと血が上り、走り寄ると少女を抱き締めた。そして、とうとう割りない仲になった。


事がすむと少女は静かに身を潜めているように念を押して、戸を閉めて出ていった。夜になるとまたやって来て歓を尽くすのであった。


二日ほど経つと少女の朋輩がその事をかぎつけ、とうとう朱を見つけ出してしまった。


「もう一人前になったのに、いつまでも娘みたいにお下げ髪にしていることはないじゃない」


と言ってからかい、総がかりで少女の髪を結い始めた。朱が少女を見ると、髻(もとどり)は高々と結い上げられ、簪が低く垂れ、ひときわ艶(あで)やかであった。少女がきまり悪そうに黙っていると、朋輩の一人が、

「どうも、お邪魔みたいね」


と言ったので、皆、どっと笑って行ってしまった。


朱は辺りに誰もいなくなると簪を直したりして戯れ始めた。その時突然、長靴の音が激しく聞こえ、外が騒がしくなった。二人が驚いて跳ね起きて外を窺うと、金の鎧を着けた真っ黒な顔をした役人が、鎖を手に提げ、槌を持って立っていた。女達は神妙な顔でその役人を取り巻いていた。役人は大音声で言った。


「そろったか?」


「はい、そろいました」


女達がそう答えた。役人がさらに足を踏み鳴らして、


「よもや下界の人間を隠していないであろうな」


と言うと、女達はまた声を揃えて、


「隠しておりません」


と答えた。役人が家捜しをするような素振りを見せたので、少女は慌てて朱に向かって、


「さ、早く隠れて」


と言って寝台の下に押し込み、自分は壁の隠し扉から出ていった。


朱が腹ばいになって息をひそめていると、長靴の音が部屋の中に入ってきてまた出ていくのが聞こえた。がやがやいう声が次第に遠のいたので、いくらか気が落ち着いてきたが、まだ戸外では長靴の音が行ったり来たりしている。朱の心臓は緊張のあまり破裂しそうになった。


ドクン、


ドクン……


長靴の音と自分の心臓の鼓動の区別がつかなくなってきた。


ドクン、


ドクン、


ドクン……


「朱さん、お連れさんがお待ちですよ」


もう駄目かと思ったその時、寝台を叩いて自分を呼ぶ声が聞こえた。気がつくと孟と老僧が目の前に立っていた。てっきり夢と思っていた朱は壁画の少女を見てはっとした。相変わらず花を手にして微笑んでいた。唇は桜桃のようで、こちらに流し目をくれているようであった。


ただ、お下げ髪が、高々と結い上げた髻に変わっていた。



(清『聊斎志異』)



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