2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

僕僕先生

僕僕先生がどこの誰なのかはわからない。自ら姓を僕、名を僕と称し、どこから来たのかもわからなかった。 僕僕先生は光州楽安県(山東省)の黄土山(こうどさん)に住み、三十年あまりの間、自ら練り上げた杏丹(きょうたん)という薬を服用した。その暮らし…

夫婦愛

北宋の劉廷式(りゅうていしき)はもとは百姓であった。若い頃、隣家に住む貧しい老人の娘と婚約した。 数年後、刻苦勉励の末、廷式は見事科挙に合格した。郷里に戻り、隣家の老人を訪ねたところ、すでに老人は亡くなっていた。残された娘も病気のために両目…

葉薦の妻

台州(浙江省)の司法、葉薦(しょうせん)の妻は嫉妬深く、残忍な性格をしていた。小間使いや下女に少しでも器量のよい者があれば、必ずむち打って痛めつけた。時には死に至らしめることもあったが、葉には止めることができなかった。 夫婦には子供がなく、…

玉女

唐の開元年間(713〜741)のことである。華山(陝西省)の雲台観に玉女(ぎょくじょ)という下女がいた。四十五歳の時、大病を患い、全身に腫れ物ができ、つぶれて悪臭を放った。観中の人々は病がうつることを恐れて、玉女を山奥深くの谷川の近くに捨てた。…

伯裘

南朝宋(420〜479)の時のことである。 酒泉郡(甘粛省。しかし、宋に酒泉郡はない)では太守が着任して間もなく死ぬという不思議な事件が続発した。 何人かの太守が不審な死を遂げた後、渤海(ぼっかい)の陳斐(ちんはい)に酒泉太守の辞令が下った。呪わ…