2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

江西南昌(なんしょう)の農村で子供が鴨を河に放していたところ、一羽が田のあぜに逃げ込んだ。田の所有者である秀才が、この時、たまたまあぜ道を歩いていた。秀才は鴨を見つけると、捕まえて連れ帰った。それを見た子供は秀才の後を追いかけ、家の前で追…

心許身殉

原邑(げんゆう、山西省)の学生、郭長泰(かくちょうたい)は眉目秀麗で才気あふれる少年であった。 十八歳で学校に入ることになり、正装して親戚にあいさつ回りをした。従妹の家を訪ねてみると、そこは後家の母と娘の二人暮しであった。女所帯であったが、…

板の上の女

光緒六年(1880)五月、湖北の漢口鎮(かんこうちん)に奇妙な木の板が流れ着いた。それは何枚もの板を重ねて荒縄で縛ってあり、上には女が一人横たわっていた。 女は手足を広げた格好で横たわり、両手両足は板に打ちつけた鉄の輪で繋がれ、身動きできない様…

鶴の恩返し

[口會]参(かいさん)は母親に孝養を尽くしていた。ある時、[口會]参は矢で射られた鶴を見つけた。かわいそうに思った[口會]参は連れ帰って傷の手当てをし、傷が癒えると、放してやった。 しばらく経ったある夜、鶴はつがいで戻ってきた。それぞれくち…

南康(なんこう)ウ都県(江西省)の西の川沿いに洞窟があった。夢口穴(むこうけつ)と呼ばれていた。 昔、ある船頭が全身黄色づくめの衣をまとった男と出会った。男は黄色い瓜を入れた籠を二つ担いでいた。 「夢口穴まで乗せてくれんかね」 男はそう言って…

長寿村

嶺南(れいなん、現在の広東・広西地方)は辺鄙(へんぴ)な土地柄で風俗も田舎じみている。中でも博白(はくはく、現在の広西壮族自治区東部)の田舎ぶりはすさまじいものであるが、その分、風俗には純朴さと古風なところが多く残っている。また、非常に長…

西園の女

杭郡(浙江省)の周という人が友人の陳某とともに江蘇地方を旅行し、ある名士の家に泊まった。 季節は初秋で残暑がきびしい上に、部屋が手狭であった。そこで、二人は屋敷の西園の精舎(しょうじゃ)に移ることにした。山に面し、池に望んで非常に幽静であっ…

博徒

孝廉(こうれん、郷試の合格者)のなにがしは長い受験生活を送るうちに困窮し、日々の暮らしにも困るようになった。友人や親戚に借金を申し入れても、誰も貸してくれない。そんな中、近所に住む博徒(ばくと)だけが、 「先生、おかげさまで今日は大勝ちしま…

始皇帝と海神

斉の鬲城(れきじょう、山東省)の東に蒲台(ほだい)がある。ここは秦の始皇帝が休んだところだといわれる。その時、始皇帝が台の下に、蒲で馬をつないだという。今でも蒲が生い茂り、「秦始皇の蒲」と呼ばれている。 始皇帝は石橋を架けて海を渡り、太陽の…

三頭の馬と一つの槽

曹操は司馬懿(しばい)の息子達が曹氏に忠義でないのではないかと疑っていた。また、かつて三頭の馬が一つの槽(おけ、槽《そう》は曹と同じ音)から飼い葉を食べる夢を見たこともあって、ますます司馬氏を憎んだ。 そこで、息子の曹丕(そうひ、後の魏の文…