江西南昌(なんしょう)の農村で子供が鴨を河に放していたところ、一羽が田のあぜに逃げ込んだ。田の所有者である秀才が、この時、たまたまあぜ道を歩いていた。秀才は鴨を見つけると、捕まえて連れ帰った。それを見た子供は秀才の後を追いかけ、家の前で追いついた。子供は秀才の腕をつかみ、


「旦那さん、この鴨はおいらんちのだ。返してくれろ」


と頼んだ。すると、突然、秀才は怒り出し、子供をひじで突いた。二人が立っていたのは、秀才の家の前にある池の近くで、子供は突かれたはずみで池に落ちた。池は広く、水は深く、子供は溺れ死んでしまった。


その母親が子供の死を聞いて、泣きながら秀才の家に来た。秀才は母親の姿を見るなり、


「お前の子供は勝手に水に落ちて死んだのだ。私に何の関係がある?」


と怒鳴りつけた。母親は秀才の口調のあまりの激しさに絶望し、子供の後を追って池に飛び込んで死んでしまった。


このことを役所に知らせる者があり、秀才は捕らえられて殺人の罪で死刑の判決を受けた。


刑の執行の日、秀才の妻と三人の子供は刑場までついて来て泣いた。秀才は黙ったまま一言もしゃべらず、ただ涙を流すばかりであった。刑場には大勢の見物人が集まり、黒山の人だかりとなった。


秀才は年の頃四十歳あまりで、たいそう上品な風貌をしていた。凶悪な様子はみじんも見られなかった。それがたった一羽の鴨が原因で、死刑になるような罪を犯してしまうとは、何か前世の因縁でもあったのだろうか。また、忍耐の足らない者はこれを深く戒めとするべきであろう。



(清『右台仙館筆記』)