板の上の女

光緒六年(1880)五月、湖北の漢口鎮(かんこうちん)に奇妙な木の板が流れ着いた。それは何枚もの板を重ねて荒縄で縛ってあり、上には女が一人横たわっていた。


女は手足を広げた格好で横たわり、両手両足は板に打ちつけた鉄の輪で繋がれ、身動きできない様子であった。かたわらには三千文の銭が置かれていた。また右手のそばには甕(かめ)が一つあり、中には焼餅が入っていた。また、足の間には人の生首が置いてあった。かなり腐敗していたが、かろうじて僧侶であることが見て取れた。


板の上に一本の木が挿してあり、紙が貼り付けてああった。それにはこう書かれていた。


「この女は金口(きんこう)の者で年は十九歳、僧侶は四十二歳であった。これを見つけた人にお願いしたい。女が死んでいたら、この三千文で棺を買って埋葬してやってくれ。女がまだ生きていたら、甕の中のものを食わせて、数日でも生き延びさせてやってほしい。もし見つけても、助けることはない。この女を助けて家に連れ帰れば、人の道に外れるぞ」


これを見た者はあえて救おうとはしなかった。女を乗せた板はやがて流れ去った。金口は漢口から六十里(当時の一里は約580メートル)ほどしか離れていないのだが、誰もその女のことを知らなかった。


翌日、板は葛店(かつてん)に流れ着き、そこで人に救われたらしいのだが、詳しいことはわからない。



(清『右台仙館筆記』)