僕僕先生

僕僕先生がどこの誰なのかはわからない。自ら姓を僕、名を僕と称し、どこから来たのかもわからなかった。


僕僕先生は光州楽安県(山東省)の黄土山(こうどさん)に住み、三十年あまりの間、自ら練り上げた杏丹(きょうたん)という薬を服用した。その暮らしぶりは常人と変わらず、薬を売って暮らしていた。


開元三年(715)、先の無棣(むてい)県知事の王滔(おうとう)が黄土山のふもとに寓居(ぐうきょ)を構えた。ある時、僕僕先生がその門前を通りかかった。王滔は息子の弁に、僕僕先生をもてなすよう命じた。先生は弁に杏丹の術を授けた。


時に弁の母方の伯父の呉明珪(ごめいけい)が光州の別駕(べつが)となり、弁は伯父の家に移り住んだ。しばらくして、僕僕先生は数万の人々の見る前で、雲に乗って天に昇っていった。弁は天を仰いで呼びかけた。


「先生の教えてくださった術はまだ完成しておりません。どうして私を見捨てて行かれるのです?」


実は僕僕先生が天に昇るのは毎度のことで、今までに十五回も天に昇っては俗世に戻ってきていた。


ある人がこのことを明珪の上司である刺史の李休光(りきゅうこう)に告げた。休光は明珪を呼びつけた。


「その方の甥は妖人とつき合っているというではないか。即刻、召し取って来い」


明珪は弁に僕僕先生を連れて来るよう命じた。弁が僕僕先生の住まいを訪ねたところへ、ちょうど僕僕先生が戻って来た。弁が休光のことを話すと、僕僕先生は答えた。


「私は道人だ。役人なんぞとは会いとうない」


「相手が礼儀正しければ、感化を及ぼせばよいでしょう。無礼な態度を取られた時には、恐れ入らせればよいではありませんか。ね、先生、いいでしょう?」


「それならよかろう」


と言うわけで、僕僕先生は弁に連れられて、刺史の役所に出頭した。休光はすこぶる傲慢(ごうまん)な態度で僕僕先生と会った。休光は僕僕先生を罵った。


「その方がまことの仙人なら、とっくに俗世を離れているはずだ。それを行ったり来たりするとは、さては妖人だな」


「麻姑(まこ)、蔡経(さいけい)、王方平(おうほうへい)、孔申(こうしん)、二茅(にぼう)のともがらは、皆、わしに教えを請いに来ておる。まだすべて教えていないから、俗世に留まっているだけだ」


僕僕先生が反論すると、休光は激怒して僕僕先生を捕らえるよう命じた。その時、僕僕先生の傍らに龍虎(りゅうこ)が現われた。龍虎は僕僕先生を背に乗せて飛び去った。


龍虎が一丈( 3.1メートル)ほどの高さまで昇った時、四方から黒雲がわき起こった。稲光が走り、すさまじい雷鳴がとどろいたかと思うと、庭に植えられた十数本の槐(えんじゅ)の木を打ち砕いた。建物全体が揺れ、居合わせた人々は先を争って逃げ出した。休光は頭巾が脱げ落ちるのもかまわず、その場から走って逃げた。頭巾は下役人が拾い上げた。すっかりおじけづいた休光は裸足で家族を連れて役所を逃れ出て、よそへ移り住んだ。


休光は僕僕先生のことを玄宗(げんそう)に上奏した。玄宗は詔(みことのり)を下して楽安県を仙居県と改名した。そして、僕僕先生の住まいを仙堂観、黄土村を仙堂府と名づけ、県尉の厳正な監督のもと、立派な道観が建てられた。弁は仙堂観の観主と諌議大夫(かんぎたいふ)を兼ねることとなり、通真先生と号した。


弁は僕僕先生から授けられた杏丹を服用していたため、年を取らなかった。大歴十四年(779)、弁は六十六歳になっていたが、四十歳あまりにしか見えず、体力も壮年のようであった。


その後、果州(四川省)の謝自然という娘が白昼、天に昇った。自然が修行していた時、神仙がしばしばその前に姿を現わした。ある者は姓を崔、名を崔といい、ある者は姓を杜、名を杜といった。そのほかの神仙も姓と名を同じくしており、僕僕先生の名前のつけ方と似通っていた。もしかしたら、神仙が人間(じんかん)に降るにあたり、自分の名前を俗世に残すことを望まず、そう称したのかもしれない。


後に、ある人が義陽(河南省)の郊外を旅していた。日が暮れたのだが、まだ村に着かなかった。路傍に草葺きの家があったので、一夜の宿を乞うた。家の主は老人であった。老人は言った。


「お泊めするのは構わないが、食べ物はありませんぞ」


しばらくして、旅人は耐えがたい空腹に襲われた。老人が数粒の丸薬を食べさせると、すぐに満腹になった。夜が明けて、旅人は出発した。


旅人が帰りに同じところを通りかかって、老人が五色の雲に乗って天に昇るところを目にした。すでに老人は地上から数十丈の高さにまで昇っていた。旅人がその姿を拝礼している間に、老人はいずこへか飛び去った。


旅人は安陸(湖北省)着くと、自分の見た不思議を話して聞かせた。県の役人は民衆を惑わず妄言(もうげん)とみなし、旅人を捕らえて尋問した。旅人は、


「本当に仙人を見たのです」


と主張するとのだが、証明するすべがない。そこで、天に向かって祈った。


「仙人様、どうしてお姿を見せてくれないのです。今、私は無実の罪に問われております。どうかお助けください」


その祈りが終わるのと時を同じくして、北の方から五色の雲が飛んできた。雲には老人が乗っていた。旅人は釈放された。役人は老人を拝礼し、姓名をたずねた。老人は答えた。


「わしは僕僕野人だ。姓名などないわ」


州の役人が僕僕先生の姿を描いて上奏した。勅命(ちょくめい)で、小屋のあったところに僕僕先生廟が建てられた。この廟は今も残っている。



(唐『広異記』)



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