蔡十九郎

紹興二十一年(1151)のことである。秀州(浙江省)当湖の魯生が試験に臨んだ。


初日が終わってから、間違いに気づいた。すでに答案を提出した後で、訂正するすべがない。翌日の試験では何も手につかず、机のそばをうろうろしながら、自分の失態を嘆いてばかりいた。


その時、


「どうしたのですか?」


と声をかけられた。声の主は黒衣を着た下役人であった。魯生が事情を話すと、下役人は言った。


「そういうことなら、あなたの答案を盗み出してあげましょう。しかし、ただと言うわけにはいきません。うちはとても貧乏なので、いくらかお礼をいただきたい」


魯生が二十万金の謝礼を払うことを約束すると、下役人は立ち去った。しかし、魯生は下役人が本当に答案を盗んでくるか半信半疑であった。


しばらくして、下役人は魯生の答案を持って戻ってきた。魯生はその場で答案を書き直して、下役人に渡した。下役人に姓名をたずねると、


「私は蔡十九郎(さいじゅうきゅうろう)と申します。暗門里に住んでおります。ここでのお勤めのため、当分、家に帰ることができません。家族への言伝をお頼みしたいのですが、よろしいでしょうか」


と言って、紙に数語をしたためた。


試験が終わると、魯生は謝礼と手紙を持って蔡十九郎の家を訪ねた。蔡十九郎の妻は魯生から話を聞くなり、突然、泣き出した。魯生はさっぱりわけがわからなかった。


「奥さん、一体、どうしたのです?」


妻はしばらく泣いた後、涙をぬぐいながら答えた。


「主人は二年前、試験場で勤務中に亡くなりました。あれからもう二年も経つのに、まだ我が家の貧しい暮らしを気にかけていたのですね」


この年、魯生は進士に及第した。彼は蔡十九郎の恩義を忘れず、その家族への援助を惜しまなかった。また、蔡十九郎の息子を下僕として召し使った。


紹興二十六年(1156)、魯生は湖州へ試験官として赴任した。その際、蔡十九郎の息子を連れて行ったのだが、事情を知る人々からは非難された。



(宋『夷堅志』)