木鳶

魯般(ろはん)は敦煌(とんこう、甘粛省)の人である。いつの時代の人なのかはわからない。なぜなら、魯般の姿はどの時代でも見られたからである。


彼は創造性に富み、様々な仕掛けを作っては人を驚かせた。その魯般が涼州(りょうしゅう、甘粛省)で仏塔建立に携わっていた時のことである。


魯般はこの大仕事をやり遂げるために、結婚したばかりの妻を敦煌に残して涼州へ単身赴任していた。彼は仏塔という大規模な作業に従事する合間に、木製の鳶(とび)を作った。この鳶はからくりで動くようになっており、楔(くさび)を三回叩くと大空に舞い上がる仕掛けになっていた。


魯般はしばしばこの鳶に乗って敦煌へ新妻の顔を見に戻っていた。しばらくすると妻の腹が段々せり出してきた。魯般は妻の顔を眺めるだけでは満足しなかったらしい。妻は魯般の両親と同居していたのだが、両親は息子が涼州から戻って来ていることは知らなかった。


魯般の両親は夫と別居生活である嫁が身ごもったので仰天した。そして、誰かと不義を働いたのでは、と疑った。妻は舅姑に恥じらいつつ身の潔白を明かした。


「あのう、旦那様が時々、鳶に乗って戻って来られて……そのう……」


父はこのからくり仕掛けの鳶にいたく興味を惹かれた。魯般が妻に会いに戻って来た時に、機会を伺ってその鳶に近付いた。乗ってみると、鳶の首の付け根の部分から楔が飛び出している。父はそれを十回ほど叩いてみた。途端に鳶は勢いよく大空に舞い上がった。そのまま雲を突き抜け、まっしぐらに東南指して飛んで行った。呉会(ごかい、江蘇省)まで飛んで行って、ようやく着陸した。呉会の人々は突然空から妙な物に跨った老人が降って来たものだから、てっきり化け物だと思ってた。そのまま捕えると、弁明も聞かずに殺してしまった。


魯般が妻の部屋から出てくると、自分の乗り物である鳶がなくなっている。すぐさま父が要領も分からずに乗って行ったのだろうと見当をつけ、急いでもう一台木製の鳶を作った。素人なら加減も知らずに楔を叩くはずだ、ということで十回叩いてみた。すると、一飛びで呉会に着いた。そこで魯般が見たのは変わり果てた父の姿であった。魯般は父の屍を鳶に乗せて泣く泣く敦煌へ戻った。敦煌に戻った魯般は作業部屋に閉じこもると、昼夜を徹して何やら作り始めた。


やがて彼は一体の仙人の木像を作り上げて、粛州(しゅくしゅう、甘粛省)の南に据えた。仙人は片腕を上げて東南の方角、つまり呉会を指差す恰好をしていた。不思議なことにこの仙人像を建ててから呉会地方は大旱魃に襲われ、三年間一滴の雨も降らなかった。呉会の人達が原因を占ってみると、魯般の仕業だと出た。そこで巨額の贈り物を用意して敦煌に赴いて、平身低頭で謝罪した。魯般が仙人像の東南を指している腕を切り落とすと、その日の内に呉会地方は大雨に見舞われたのであった。


唐朝の初めにはまだ粛州にこの仙人像があり、広く地元民の信仰を集めていたそうである。



(唐『酉陽雑俎』)



游仙枕―中国昔話大集 (アルファポリス文庫)

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