王瓊

唐の貞元年間(785〜805)初めのことである。丹陽県(江蘇省)知事の王瓊(おうけい)は任期が満ちた後、都に呼び戻された。その後、三年の間、任官できず、悲嘆に暮れていた。


王瓊は茅山(ぼうざん、江蘇省)の道士葉虚中(しょうきょちゅう)のもとで物忌みをし、天に文書を捧げて吉凶を占ってほしいと頼んだ。葉虚中はすでに九十歳過ぎの高齢であったが、老体にむち打って祈祷した。文書は香煙とともに舞い上がり、やがて見えなくなった。


しばらくして、何やら天からひらひらと落ちてきた。拾い上げてみれば、先ほどの文書であった。その末尾には朱筆でこう書いてあった。


「百両の黄金を受け取ったため、三年分の俸禄を削った。無実の者を二人、殺したことについては、死後、改めて処分する」


一年後、王瓊は突然の病で死んだ。



(唐『独異志』)