賄賂

五代の後唐のことである。


鎮州(河北省)の劉方遇(りゅうほうぐう)の家は裕福で、数十万の財産を蓄えていた。妻の田氏は早く死に、その妹は尼僧となっていたが、ひんぱんに方遇の家の出入りしていた。方遇はこの義妹を還俗させて、後添いに迎えた。


妻の弟は田令遵(でんれいじゅん)といい、利殖に長けていた。方遇はこの義弟に財産の管理と運用を任せていた。ほどなくして方遇は病で死んだ。


方遇にはすでに嫁いだ二人の娘と、息子が一人あったが、息子はまだ幼く、家業を監督することは無理であった。方遇の妻と二人の娘は、親族と相談して令遵を跡継ぎとし、劉姓に改めさせることにした。そこで、代書人の安美に契約書を書かせて取り交わした。令遵は方遇の息子として喪に服した。


はじめ、方遇の二人の娘は令遵を跡継ぎにする時、毎月、二万を受け取ることで同意したのだが、しだいにこの金額では不足だと思うようになった。二人の夫である石と李は妻をそそのかして、令遵が勝手に劉姓を名乗って方遇の財産を奪った、と訴えさせた。令遵は獄につながれた。石と李の一族は高知柔という役人と親密にしており、それを通じて自分達に有利な判決を下すよう、府の長官や副官や属官に賄賂をばらまいた。


結局、令遵とその姉と安美は共謀して方遇の財産を奪ったかどで、死刑になった。


長官の李従敏は事が明るみに出るのを恐れ、妻を都へやって方々にとりなしを頼ませた。侍御史の趙都が事件を知って上奏した。明宗は激怒し、副使の符蒙を鎮州に派遣して調査させたところ、事実であることが明らかになった。結局、高知柔と賄賂を受け取った副官と属官ら、方遇の二人の娘とその夫達は、すべて死刑になった。


従敏は免職となったが、皇族ということで三か月分の俸給を削られるに留まった。


賄賂を受け取って法を曲げて人を殺すのは重罪である。皇族という理由で罰せられなかったとは、刑罰の適用が不十分に終わったといえるだろう。



(五代『北夢瑣言』)



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