二人の妾

靖康二年(1127)の春、都は陥落し、連日、金軍の略奪と暴行にさらされた。多くの軍民や官吏、皇族や妓女、役者が連行された。


ある朝、朝廷に仕える官吏の王なにがしの邸の門前に二人の女が坐り込んでいた。使用人が門を開けると、女達は中に駆け込み、王の前に跪いて泣きながら訴えた。


「私達は蛮兵に連れ去られましたが、幸いにも逃げ出すことができました。しかし、逃げはしたものの、追っ手が恐ろしくて、家に帰ることができません。あなた様に婢女(はしため)としてお仕えして、命をつなぎとうございます」


女は二人とも美しかったので、王は喜んで受け入れて妾にした。この時、王はすでに正室をなくしており、この二人を深く寵愛した。王は二人を愛するあまり、二度と正室を娶らないことを誓った。


後に王は中書舎人(ちゅうしょしゃじん)として出仕するようになった。そして、再婚話が持ち上がった。



ある日、王が食事を終えたところへ、二人の妾が着飾って現われた。二人は王を拝して、


「今までお世話になりました」


と礼を述べた。


「お前達、一体、どうしたのだ?」


王が驚いてわけをたずねると、二人は答えた。


「先にはあやうく死ぬところを、旦那様にお助けいただいた上に、終生まで誓っていただきました。それももう今日までのことです。旦那様のお心変わりを怨むつもりはございません。これも定めでしょう。私どもはこれ以上生きようとは思いません。それで、こうしてお別れのごあいさつに参上いたしました」


王は二人を思い直させようと、言葉を尽くしてなだめた。すると、二人は泣きながらこう言った。


「もう手遅れでございます。実は二人だけで死ぬのは寂しいので、旦那様が先ほど召し上がった湯麺(タンメン)に毒を入れました。もう少ししたら毒が回りますので、早くお身回りの始末をおつけなさいませ。私どもは一足お先に泉下(せんか)へ参ります」


そして、一礼して出て行った。王が驚いて後を追うと、二人は手に手を取って池に身を投げた。



王は家人に理由を話して解毒剤を求めさせた。しかし、間に合わず、死んだ。



(宋『夷堅志』)