大暦七年(772)、大理評事の李載(りさい)が監察御史を兼任し、福建の節度観察を代行した。李載は建州浦城(ほじょう)に役所を設置したのだが、浦城から建州までは七百里(当時の一里は約 560メートル)離れており、その地は瘴気(しょうき)に満ちていた…
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