浦城(ほじょう、福建省)と永豊(えいほう、江西省)の県境の街道沿いに一軒の旅籠があった。厳州(浙江省)の商人が絹糸の荷をたずさえて、この旅籠に数日の間泊まった。旅籠の主人の妻は色好みで、商人を誘って関係を結んだ。


妻は夫に言った。


「あの客の荷物は少なくないわ。一人旅だって言ってたから、こっちで何とでもできそうよ」


主人は商人を酒に酔わせると、夜中に斬り殺そうとした。商人は突然のことに酔いも吹き飛び、大声で助けを求めた。しかし、旅籠の近くには民家は少なく、隣家の老人が叫び声を聞いて駆けつけただけであった。老人が中に入ろうとすると、女房が門の前に立ち、右手を伸ばしてさえぎった。そして、左手で絹糸を一束、老人に向かって投げてよこした。この絹糸は商人の荷から抜いたものであった。老人は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに、


「へへ、すまないねえ」


と笑って立ち去った。その間に商人は旅籠の主人の手で殺された。主人夫婦は死体を旅籠から百歩(一歩は約 1.5メートル)離れた山に運んで埋めた。この時、あわてていたため、浅い穴しか掘れなかったが、めったに人の立ち入らないところだったので、そう簡単に見つけられるはずがなかった。


数か月後、商人の息子は出かけたまま戻らない父のことを心配し、その消息を尋ねて旅に出た。以前、父とともに旅した道筋をたどり、浦城と永豊の県境の旅籠まで来たところで、父の消息はふっつりと絶えた。息子はこの旅籠に泊まって父の消息を探ったが、何も得られなかった。


ある昼のこと、息子は父親のことを案じながら、部屋で過ごしていた。そこへたいそう大きな蝿がどこからか飛んできて、息子の腕に止まった。手で払っても、蝿はすぐに舞い戻ってきて腕に止まった。このようなことが、五、六度も続いた。


息子は父のことを案じていたので、心の中で祈った。


「神様が何かを伝えようとしているのかもしれない。もしそうなら、どうか私を案内しておくれ」


すると、蝿が払いもしないのに飛び立ったので、息子はその後について行った。息子が少しでも遅れると、蝿は戻ってきて、その頭の周りを飛び回った。まるで、何か話しかけているようであった。息子は蝿に導かれるまま、旅籠から百歩ほど離れた山の中まで来た。地面の上に無数の蝿がたかっていた。息子が近寄ると、蝿の群は飛び去った。息子は見るなり叫んだ。


「父さんっ!」


土が崩れ、商人の死体がむき出しになっていた。


息子は近くの村に知らせに走った。すぐさま旅籠の主人夫婦が捕らえられた。主人夫婦を問い詰めたところすぐに罪を認めた。また、隣家の老人が商人を見殺しにしたことも明るみになった。主人夫婦は死刑、隣家の老人は棒打ちの刑に処せられた。また、凶行のあった旅籠は取り壊された。


この事件は淳熙十一(1184)から十二年(1185)の間に起きたという。



(宋『夷堅志』)



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