父の訴状
広陵(こうりょう、江蘇省)に欧陽(おうよう)なにがしという下役人がいた。家族とともに決定寺の向かいに住んでいた。その妻は幼い頃に戦乱に遭い、両親と生き別れになっていた。
ある日、一人の老人が欧陽家を訪ねてきた。老人は自ら、
「この家の主の妻の父である」
と告げた。
妻は老人の身なりがみすぼらしいことを知ると、会うことを拒んだ。老人がなおも自分の名前と家族や親戚のことを細かに語っても、妻は聞こうとしなかった。何とか会うことだけは承知したのだが、顔を背けたまま老人の顔を見ようともしなかった。
老人は懇願した。
「こうして遠路はるばる訪ねて来たのは、身を寄せるところがないからだ。軒下でよいから、二晩泊めてもらえまいか」
しかし、妻は返事をしない。夫が、
「いいじゃないか、お前のお父さんなんだから泊めてあげようよ」
と言っても、
「いやです」
の一点張りであった。すると、老人は、
「そうか。それなら、お前を訴えてやる」
と言って立ち去った。
翌日の正午、それまで晴れ渡っていたら空が南から暗くなり、暴風雨が起こり、雷鳴がとどろいた。稲妻がまっすぐに欧陽家に走ったかと思うと、妻を引きずり出した。妻は中庭で雷に打たれて死んだ。また、激しい雨が洪水を引き起こし、近隣の家々はすべて水没した。
数日後、欧陽家の者が后土廟(土地神である后土神を祀った廟)を詣で、神像の前に一枚の文が置いてあるのを見つけた。それは父親が娘を不幸の罪で訴えた訴状であった。
(宋『稽神録』)