李光遠
開元年間(713〜741)のことである。李光遠(りこうえん)が館陶(かんとう、山東省)県の知事となった。当時、館陶一帯は旱魃(かんばつ)に見舞われた。光遠は文書で旱魃の状況を中央に訴えようとした。ところが、光遠は文書を書き上げた途端、急死してしまった。死後、光遠の文書は県から州に提出されたが、州の副知事が握りつぶした。民百姓は怒り恨んで慟哭(どうこく)した。
「県知事様がお亡くなりにならなければ、こんなことにはならなかったのに」
その夜、突然、光遠が白馬に乗って館陶に現われた。彼は民百姓に向かって言った。
「私は死んだが、旱魃のことが気がかりで戻ってきた。旱魃に苦しむ民百姓を見殺しにしようとは、副知事はどういうつもりだ? どうして私の文書を握りつぶしたのだ?」
そして、光遠は民百姓を引き連れて副知事の邸に押しかけ、
「館陶県の李知事が会いに来た」
と取り次ぎを求めた。副知事は恐れて自分では出て来ず、人をやって、
「今日のところはお引き取りを」
と伝えさせた。すると、光遠は激怒して叱責した。
「貴公は人でなしだ。旱魃は民百姓にとって一大事、どうしてすみやかに対策を講じないのだ。このまま放っておくならば、災いが見舞うぞ」
そう言い終わると、光遠は民百姓に別れを告げて立ち去った。
副知事はすぐに光遠の文書を中央に提出した。中央は旱魃の被害を認め、民百姓への救済措置を行なった。民百姓は光遠に感謝した。
(唐『広異記』)
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