宋申錫の怨み

唐の丞相の宋申錫(そうしんしゃく)は宰相になったばかりの頃、帝からの信任が厚かった。宋申錫自身も国家の安泰にすることこそ、己の責務だと自負していた。


当時、朝廷は宦官勢力と科挙出身者とが対立していた。その中で鄭注(ていちゅう)は両勢力と通じ、政治を壟断(ろうだん)していた。


宋申錫は鄭注を除こうとした。友人の王[王番](おうはん)が京兆尹となっていたので、密かにこれと結んで、鄭注の罪状を調べ上げて帝に上奏し、京兆府で捕らえて打ち殺すことにした。


ところが、王[王番]は叛服(はんぷく)常ならぬ小心者であった。彼は鄭注が宦官の信頼を集めていることから、これに近づこうと思い、宋申錫の計略をすべて知らせた。


鄭注はこのことを宦官の息のかかっている右神策軍(ゆうしんさくぐん)に報告した。


十日も経たないうちに、宋申錫の罪状をでっち上げ、人を使って密告させた。


「宋申錫は諸王に書状を送って結託し、謀反を企んでおります」


また、金銀、財宝で買収した者に宋申錫の謀反を裏づける証言をさせ、さらに、その筆跡をまねて書状を偽造した。


こうして、宋申錫は謀反の罪を着せられた。もちろん、貴顕も庶民も宋申錫が無実であることを知らない者はなかった。朝臣達で議論した結果、宋申錫は宮中から追放され、開州(四川省)司馬に左遷されることになった。宋申錫は赴任から数か月後に憤死した。


翌年、帝の詔が下り、宋申錫の遺体を都に運んで埋葬することが許された。


太和九年(八三五)の春、宋申錫の妻が正午に棺を安置した部屋の前でうたた寝をしていると、死んだ夫が中門から入ってきた。驚いて起き上がると、宋申錫は妻を手招いた。妻は庭に駆け下りた。


「おいで。お前に見せたいものがある」


宋申錫は妻を連れて城外に出た。そして、[シ産]水(さんすい)の北へ数里離れたところへ連れていった。地面に大きな穴が掘られ、穴のそばには小さな竹の籠や箱がいくつかあった。すべて封印されていた。


宋申錫はその一つを取り上げて、妻に見せた。


「これがあの悪党だ」


「誰ですか?」


「裏切り者の王[王番]だ。こやつのことは、すでに上帝に申し上げてある」


宋申錫はいまいましそうに言った。妻がどういうことかとたずねると、宋申錫は、


「今にわかる」


と答えた。その途端、妻は目を覚ました。全身に冷や汗をかいていた。


妻はこのことを家族や親戚に告げて紙に書き記し、衣装箱にしまっておいた。


その年の十一月、甘露(かんろ)の変が起こった。


王[王番]は腰斬(ようざん)の刑に処せられ、ほかにも大勢の者が処刑された。その死体は城外に掘った穴に埋められた。



(唐『逸史』)