広東(カントン)の雷州は最果ての地である。明の崇禎(すうてい)年間(1628〜1644)はじめに、金陵(南京)の高官が郡の太守として雷州へ赴任することとなった。息子を金陵に残し、妻と娘を連れて水路、雷州へ向かった。その途中、盗賊の一団に襲われ、妻…
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