羹売りの李吉

范寅賓(はんいんひん)が長沙(ちょうさ、湖南省)での任期を終えて臨安(りんあん、杭州)に戻ってきた時のことである。


ある日、知人に昇陽楼(しょうようろう)という酒楼に招かれた。范達の座敷に何人かの売り子が料理を売りに来たのだが、その中に鶏の羹(あつもの)を売る男がいた。


その男は范に向かって何度も頭を下げ、持参した羹をすべてくれた。


「お代は結構です」


范は不思議に思って相手の顔をよく見てみると、以前、下男として召し使っていた李吉(りきつ)によく似ている。しかし、李吉はすでに数年前に死んでいた。


「もしかして李吉、お前なのか?」


范が驚いてたずねると、男は、


「旦那様、お久しゅうございます」


と答えた。


「お前はもうとっくに死んだ身ではないか。どうしてここにいるのだ?」


すると、李吉は笑って、


「世の中には私のような輩は少なくありませんよ。ただ、誰も気づかないだけです」


と言って、ほかの座敷を回っている売り子の一人と、街路を行く一人を指さした。


「あの人とあの人も、私と同じ幽鬼ですよ。生きている人に混じって商いをしたり、雇われて働いたりしております。害を及ぼすこともありませんし。別段、驚くほどのことではありません。そうそう、旦那様のお宅に出入りしている洗濯女の趙婆やも実は幽鬼なのですよ。お疑いなら、お帰りになってから、本人にきいてごらんなさい。もちろん、認めはしないでしょう。その時には……」


李吉は腰にぶら下げた袋から小さな石を二つ取り出し、范に手渡した。


「これを見せれば、すぐに正体を現わしますよ」


「ところで、お前のこの鶏の羹は食えるのか?」


范の問いかけに、李吉は、


「食べられないものなら、旦那様にさし上げません。安心して召し上がってください」


と答えて座敷を出て行った。


范は帰宅すると、妻の韓氏に数年前に死んだ李吉と会ったことを告げた。すると、韓氏は言った。


「趙婆やはもう二十年もうちに出入りしている人ですよ。それを幽鬼だなんて。李吉と会ったというのは本当のことなんですか? 私には言えないようなところで遊んだのをごまかすために、そんなうそをでっち上げているんじゃないでしょうね」


数日後、趙婆やが来たので、范が冗談めかして、


「お前は幽鬼だそうだが、それは本当か?」


と言うと、趙婆やは不機嫌になった。


「こちらでお世話になってもう久しいのに、どうしてそんなお戯れをおっしゃるのです」


「李吉が教えてくれたのだ」


范はそう言うと、懐から二つの小石を取り出して趙婆やに見せた。趙婆やは石を見るなり顔色を変え、絹を裂くような叫び声を上げて姿を消した。



(宋『夷堅志』)