山東の長白山の西に墓が一つある。地元の人間は『夫人の墓』と呼んでいたが、誰の墓であるかわからなかった。


北斉の孝昭帝の御世(560〜561)に、広く天下の俊才を求めたことがあった。清河(河北省)の崔羅什(さいらじゅう)は若輩にもかかわらず令名が高く、召し出されて州の長官として赴任する途中、ここを通りかかった。


日が沈み、夜道を急ぐ羅什の目前に朱塗りの門が現われた。厚い白壁の向こうには楼閣が聳(そび)え立っている。不思議に思って見ていると重々しく門が開き、中から青衣をまとった腰元が出てきた。


「奥様が崔の若様にお目にかかりたいとのことでございます」


その言葉を聞いた途端、羅什は頭が何だかぼぅっとなった。ふらふらと馬から下りて、腰元について門をくぐった。門を二つくぐって中に通ると、もう一人別の腰元がおり、女主人の部屋へ案内しようとした。その時、羅什はっと気がつき、慌てて辞退した。


「旅の途中、突然、お召しにあずかりました。一体、どちらのお召しなのか皆目見当もつきません。妄りに奥に通るのはいかがかとも存じますが」


腰元は、


「奥様は侍中の呉質様のご息女で、平陵(山東省)の劉府君の奥方様です。府君は故あって家を空けておいでです。奥様は是非とも若様にお目にかかりたいとのことでございます」


と言って、奥へ進むよう促した。


羅什は仕方なく中に通ると、勧められるままに奥の長椅子に腰を下ろした。女主人はと見ると、扉の側に立っていた。すらりとした肢体を古風な衣装で包んだ美女であった。にっこりと笑って羅什に向かって会釈し、型通りの時候の挨拶を交わした。女主人の笑みに羅什はすっかり心を奪われてしまった。


女主人の傍らに控えた腰元が二人、燭台を手にして室内を照らしていた。女主人はもう一人、腰元を呼ぶと、玉の脇息を持ってこさせて羅什に勧めた。


羅什と女主人は昨今の詩文について語り合った。その詩文の才能は豊かで、羅什の好みとぴったり合った。語り合ううちに、羅什には相手が人間ではないような気がしてきた。


(確か呉質のご息女と言っていたが……)


羅什は記憶の糸をたぐった。当代の侍中に呉質という人物はいない。過去の記憶をたどると、一人だけ思い当たった。しかし、それは三国魏の人であった。目の前にいるたおやかな美女は亡者だったのである。


羅什が自分の正体に気付いたことを知ってか知らずか、女主人はこう言った。


「先ほど崔の若様が庭の木立で車馬を休息させていらっしゃる時、見事な吟唱をなさったのを拝聴いたしました。そこで、お顔も拝見したいと存じましたのよ」


羅什は常日頃、詩文を嗜(たしな)み、吟唱が得意であった。


羅什はさり気なくたずねた。


「魏帝(魏の明帝)がご尊父に宛てた書簡では、宛て名を『元城令(元城は河北省の地名。令は地方長官のこと)』としておられるとか。それは本当のことでしょうか」


女主人が答えて言うには、


「父が元城令となったのは、私の生まれた年のことです」


とのことであった。それから二人は、後漢の末から魏にかけての出来事を語り合ったが、女主人の話すことは魏の歴史とぴったり符合していた。


羅什がふと女主人の夫のことをたずねると、


「劉孔才の第二子で名は瑶(よう)、字(あざな)は仲璋(ちゅうしょう)と申します。先立って罪を問われて逮捕され、それきりです」


と答えた。語り合ううちに東の空が白んできた。羅什は長椅子から下りて、辞去した。女主人は別れに際してこう言った。



「十年後に、改めてまたお会いしましょう」


羅什は記念に玳瑁(たいまい)の簪を女主人に贈った。女主人は嵌(は)めていた玉の指輪を抜いて、羅什に与えた。


羅什が馬を数十歩進ませてから、名残を惜しんで振り返ってみると、白壁も楼閣も跡形もなく消えていた。ただ、大きな塚が横たわるだけであった。


歴下(山東省済南)に到着した羅什は、寺に行くと呉質の娘のために供養をしてもらい、指輪を布施とした。


天統(565〜569)の末、羅什は詔(みことのり)を受けて黄河の堤防の修築工事の監督官となった。工事は遅々として進まなかった。羅什は部下で済南出身の奚叔布(けいしゅくふ)にこの話を語った。


語り終えると、


「今年がその十年目なんだ。工事は終わりそうにない。どうしたらいいんだろう」


と言って泣いた。奚叔布は何とも答えようがなかった。


それからしばらく経ったある日、羅什の従僕が主人の姿を求めて庭園にやって来た。羅什はそこで杏を食べているはずであった。突然、従僕の耳に突然、羅什の悲痛な叫びが聞こえた。

「奥様、呉の奥様! 私はすぐに参ります」


従僕が近寄ってみると羅什はすでにこと切れていた。羅什の手には食べかけの杏の実が握られていた。


羅什は若い頃から才子として名高かったため、その死を悼まない者はなかった。



(唐『酉陽雑俎』)



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