長垣の女

宣和年間(1119〜1125)のことである。開封(かいほう、河南省)の長垣(ちょうえん)県の二人の弓手(きゅうしゅ、地方の下級警察官)が郊外を巡邏(じゅんら)していて、籠を提げた女が走ってくるのと行き会った。


「誰か、助けてーっ!」


女は三頭の狼に追われていた。二人の弓手は矛(ほこ)をふるって狼を追い払った。女は何度も礼の言葉を述べて立ち去った。弓手達が路傍で昼食を食べていると、また、女の悲鳴が聞こえてきた。駆けつけると、先ほどの女がまた狼に追われている。弓手達は狼を矛で追い払った。聞けば、女の家はここから百歩あまりのところだというので、送って行くことにした。


家に着くと、女は、


「お二方に助けていただかなかったら、私は死んでおりました。病気の老母のために買ってきた豚足(とんそく)がございます。どうぞ、召し上がっていって下さい」


と言うと、豚足を煮て弓手にふるまった。そして、


「お酒を買ってまいります」


と言って出て行ったのだが、いつまで待っても戻ってこなかった。息子があちこち探し回って、路傍で死んでいる女を見つけた。死体はのど笛を狼に食い破られているだけで、ほかに食い荒らされたあとはなかった。狼は女をかみ殺しただけで、立ち去ったのであった。


一日に三度も狼に追われ、三度目に命を落とすとは、何か前世の因縁でもあったのだろうか。



(宋『夷堅志』)