盧江の馮婆さん

馮婆さんは盧江(ろこう、安徽省)の田舎に住む農婦である。とても貧しく、夫に先立たれ、子供もないため、村人達から馬鹿にされ、誰にも相手にされなかった。


元和(げんな)四年(809)に、淮楚(わいそ)地方(安徽、湖北省一帯)が大飢饉に見舞われたため、馮婆さんは食べ物を求めて舒州(じょしゅう、安徽省)へ行くことにした。途中、ある牧場へさしかかったところで日が暮れた。その上、風が吹いて雨まで降ってきたので、馮婆さんは行き悩み、桑の木の下に身を寄せた。


ふと見ると、路傍に一軒の家があり、灯りが漏れていた。馮婆さんは泊めてもらおうと、家に向かって歩き出した。


見ると、表に若い女が立っていた。年は二十歳を少し過ぎたほどで、美しく装い、三歳くらいの子供を抱いて、戸口に寄りかかって悲しそうに泣いていた。家の中をのぞいてみると、老人と老婆が寝台の上に坐り、眉根を寄せて小声でぼそぼそと話していた。


「あれだけ言っても手放そうとしないとは、困ったことだよ」


そう言って、二人はとがめるような目つきで女を見た。馮婆さんが入っていくと、老人と老婆は黙って出ていった。


女はやがて泣くのをやめて、家の中へ入ってきた。そして、食事の支度をし、夜具を延べて言った。


「長旅でお疲れでしょう。ご飯を召し上がったら、ゆっくりお休み下さい」


 馮婆さんが先ほどのことをたずねると、女は、


「この子の父親は私の夫なのですが、明日、ほかの女を娶ることになったのです」


と言って、またもや泣き出した。


「あのご老人達はどなたでしょう。あなたのことで、お腹立ちのようでしたが」


「舅と姑です。今度、息子が新しい嫁を娶るので、私から化粧道具や針仕事の道具、先祖の祭礼で使う道具を取り上げて、新しい嫁にやろうとしているのです。祭礼の道具は一家の主婦があずかるものですので、どうしても手放すことができず、それであのように責められていたのです」


「ご主人はどちらにいるのです?」


「私は淮陰(わいいん)県(江蘇省)知事の梁倩(りょうせん)の娘です。董(とう)家に嫁いできて七年になります。息子を二人、娘を一人、儲けましたが、息子達は父親のもとにおります。この先の村にいる董江が私の夫です。[贊邑](さん)県(湖北省)の副知事で、家は大金持ちです」


言い終わると、女は再び泣き出した。この手の話はよくあることなので、馮婆さんは、格別、不審に思わなかった。それに、飢えと寒さで疲れ果てていたところへ、温かい食事と柔らかい寝床を出されたものだから、すぐにぐっすりと寝入った。しかし、女は夜明けまで泣き続けたものとみえ、夢うつつに泣き声が聞こえた。


夜が明けると、馮婆さんは礼を述べて、その家を離れた。四里(当時の一里は約 560メートル)ほど行くと、桐城県に着いた。町の東に立派な邸があり、幕をめぐらし、婚礼の引き出物の子羊や雁が並べられ、人が大勢、詰めかけていた。


聞けば、今夜、婚礼があるとのことであった。馮婆さんが誰の婚礼かとたずねてみると、董江だという。


「董さんには奥様もお子様もおありなのに、どうして、結婚するのです?」


「董さんの奥様とお嬢さんは、もう亡くなってますよ」

「悪い冗談を言っちゃいけませんよ。夕べ、私は雨に降られて、董さんの奥様の梁さんの家に泊めてもらったのですからね」


そして、家のあった場所を言うと、それは董江の妻の墓地であった。また、二人の老人の顔かたちをたずねてみれば、董江の亡くなった両親であることがわかった。董江は地元の出身なので、人々もその両親のことをよく知っていた。


このことを誰かが董江に告げたため、馮婆さんはでたらめを言いふらして人々を惑わせたかどで町から追い出された。しかし、人の口に戸は立てられず、馮婆さんの話はその日のうちに町中に広まり、人々は、皆、先妻の梁氏に同情した。


その夜、董江は予定通り、婚礼を挙げた。



(唐『盧江馮媼伝』)