長安陝西省)の青龍寺(せいりゅうじ)の儀光禅師(ぎこうぜんし)は、徳の高いことで知られていた。


開元十五年(727)にある役人の妻が死に、祈祷のために儀光禅師が招かれた。儀光禅師は数日間、母屋の脇部屋に滞在し、死者を供養することになった。


世俗の風習では、人が死ぬと巫師(ふし)がその魂が戻る日を告げた。死者の魂は必ず害を及ぼすので、死者の出た家の住人はよそへ避けることになっていた。


その夜、役人と家族は北門からこっそり抜け出した。儀光禅師は何も知らされず、脇部屋で灯りを点して経を上げていた。夜中になると、広間で人の起き上がる気配がした。衣ずれの音がして扉が開いた。中から女が一人、出てきて厨房へ入ると、水を汲んで火を起こしはじめた。


儀光禅師は家族の誰かが夜食を作っているのだろうと思い、怪しまなかった。夜明け近くに、女が食事を運んできた。女は顔を面衣(ベール)で覆い、裸足であった。


女は儀光禅師を拝して言った。


「禅師においでを賜わりながら、家族は皆、出かけてしまいました。お斎(とき、精進料理)が遅れてはと思い、私がお作りいたしました」


この時、儀光禅師は女が役人の死んだ妻であることに気づいた。儀光禅師は食事を受け取り、女に祝福の言葉をかけた。


その祝福の言葉がまだ終わらぬうちに、広間の北側の扉の開く音がした。女はあわてた様子で、


「子供達が戻ってまいりました」


と言うと、広間に駆け込んだ。すぐに、家族の泣く声が聞こえてきた。


家族はひとしきり泣いてから、儀光禅師に挨拶しに来た。粥をよそった鉢があるのを見ると、不思議な顔をした。


「昨夜は私達は禍を避けるために師父にお知らせせず、家を空けておりました。この粥は一体、誰が作ったのでしょう?」


儀光禅師は笑って答えなかった。その時、広間で小間使いの叫ぶ声が聞こえた。


「奥様のご遺骸が横向きになっております。手にはお粥がついているし、足は泥で汚れておりますわ。一体、どういうことでしょう?」


そこで、儀光禅師は死者が粥を作ってくれたことを話して聞かせた。家族は皆、驚いたのであった。



(唐『紀聞』)