奇妙な訴え

呉冠賢(ごかんけん)が安定(陝西省)の県知事となった時のことである。ある日、十六、七歳の少年と少女が役所にやって来て、奇妙な訴えを起こした。少年の言い分はこうであった。


「この娘は私の許嫁(いいなずけ)です。両親が私の妻にするために養っておりました。それが両親が死んだ途端、私を捨てて出て行こうとしております」


すると、少女はそれを打ち消した。


「私とこの人は実の兄妹です。両親が死んだ途端、実の妹である私を妻にしようとしているのです」


県知事が少年と少女の姓名をたずねると、二人ともすらすらと答えた。次いで郷里についてたずねると、


「両親は方々を転々としながら乞食をしておりましたので……」


とはっきりしない。そこで安定に流れてきた乞食達に両親のことをたずねてみると、


「ここに来て数日で亡くなったので、よくは知りません。互いに兄、妹と呼び合っていましたよ」


と言う。許嫁が早くから同居している場合、他人同士でも兄妹のように呼び合うのはよくあることであった。


これには県知事も困り果てた。そこで、経験豊富な下役人に意見を求めた。


「こういうことは簡単には判決が下せません。これといった確証がありませんからな。どう判決を下そうが、それが正しいかどうかはわかりません。こういう時には、どのような結果を招くのかを考えるのですよ。二人を別れさせたところで、人の美満な結婚生活を壊したにすぎません。では、別れさせなかったらどうでしょう? 万が一、二人が本当に兄妹だったらどうします? それこそ人倫を乱す大事になります。どちらにせよ誤った判決を下さなければならないのならば、犯す過ちの小さい方がましというものでしょう」


下役人の意見ももっともであったので、少年少女の婚姻を無効とした。



(清『閲微草堂筆記』)