泣く女

陸容(りくよう)が桐廬(とうろ、浙江省)を通りかかった時のことである。ふと見れば、河の向こう岸で一人の女が泣きながら訴えていた。


「夫が殺された、夫が殺された」


河は深くて広く、そう簡単には渡れそうにない。陸容が何とかして女から仔細を聞こうと、その場に足を止めた。同行していた者は、


「あの女は頭がおかしいんですよ」


と言って、そのまま打ち捨てていこうといた。しかし、陸容は女の泣き声があまりにも哀切なので、真実を訴えているのではないかと思った。ちょうど県の役人が同行していたので、調査するよう頼んだ。


調査の結果、女は於潜(おせん、浙江省)の陳なにがしという者の妻であることがわかった。


夫婦で猿回しをして方々を巡っていたが、ある夕暮れ、民家に一夜の宿を乞うた。家の主は漁師の兄弟で、年老いた母親とともに暮らしており、どちらもまだ独り身であった。陳の妻が気が利く上に美しいのを見て、奪って自分達の女房にしようとたくらんだ。


その夜、兄弟は陳にこうもちかけた。


「猿回しをしたところで、たいした金にもならんだろう。おれ達と一緒に漁をすれば、何倍も稼げるぞ。明日、一緒に漁に行ってみないか」


翌朝、陳は兄弟と一緒に漁に出かけた。日が暮れて帰宅したのは兄弟だけで、陳は戻って来なかった。女が夫のことをたずねると、


「あんたの旦那は虎にさらわれちまったよ」


と答えた。妻は信じず、一晩中、泣き通した。兄弟の母親は、


「せがれ達が言うように、ご主人は死んじまったんだよ。あんたもあきらめて、うちの嫁におなりよ」


となだめたが、


「そんな無体なこと。お上に訴えて出ますよ」


と、女は承知しなかった。殺人が露見するのを恐れた兄弟は猿と女を殺した。猿の死体は川に捨て、女は荒れ塚に埋めた。


二日後の晩、女は、

「明星が来るぞ、どうして訴えに行かないのだ」


と、誰かにわき腹を蹴られる夢を見て意識を取り戻した。射し込む光を頼りに荒れ塚から這い出し、会う人、会う人に泣きながら夫が殺されたことを訴えた。しかし、人々は髪を振り乱し、泥だらけな姿で訴える女を頭がおかしいと思い、誰も取り合ってくれなかった。そこへ陸容が通りかかり、はじめて女の言い分に耳を傾けたのであった。


ようやく殺人事件として取り上げられ、漁師の家に捕り手が差し向けられた。家の前では、生き返った猿が鳴き騒いでいた。また、猿回しの道具も押収された。後でわかったことだが、漁師の兄弟は道具を焼いて証拠を消そうとしたが、どうしても火がつかなかったという。


結局、証拠を押さえられて、兄弟は殺人で死刑に処されることとなった。



(明『菽園雑記』)


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