罰を受けた美男子(前編)

宋の時代、都の開封(かいほう、河南省)に陳叔文(ちんしゅくぶん)という男がいた。刻苦勉励して科挙に及第し、常州江蘇省)宜興(ぎこう)県の主簿(書記官)に任命された。しかし、家は貧しく日々の生活費にも事欠くありさまで、任地に赴任する路銀すらなかった。


叔文は金こそないが、人並み優れた美男子で、花街に行くと妓女達の受けが非常によかった。とりわけ崔蘭英(さいらんえい)という妓女が叔文に入れあげており、ただで遊ばせてくれただけでなく小遣いをくれることもあった。思案に余った叔文は蘭英のところへ相談に出かけた。


蘭英はいつものように大歓迎でもてなしてくれた。叔文が金の話を切り出すことができずにそわそわしていると、蘭英が言った。


「浮かない顔をして、どうなさったの?」


叔文が任官のこと、路銀のことを話すと女は自分の膝をぽんと打って気前よく言った。


「ようござんす。路銀くらい私に任せてちょうだいな」


そして、続けた。


「私はあなたとおつき合いしているといっても、妓女とお客の関係に過ぎません。それにあなたの素性もよくは知りません。でもね、あなたはきっと出世なさる方だと思って、今までおつき合いしてきたんですのよ。前々から思っておりましたの。千貫以上お金が貯まったらこんな商売やめて、堅気(かたぎ)の奥さんになろうって。もしもあなたがまだお一人なら、喜んでお伴したいんですけど」


「それ、ほんとう? 僕はまだ独身だよ。もし、きみが僕の所に来てくれるのなら、それこそ願ったりかなったりだ」


二人はその場で結婚の約束を交わした。その夜は新生活について色々と話し合ったのであった。


叔文は翌朝、家へ帰った。そして、待っていた妻にこう言った。


「なあ、お前。やっぱり金がないので一緒に宜興に行くことはできそうにないよ。夕べ、何とか俺の分だけは工面できたから、一人で行くことにするよ。しばらく別居になるけど、生活費はちゃんと送るから我慢してくれや。なあに、たったの三年さ」


妻は叔文の話に納得した。


叔文は旅の準備が整うと、蘭英を伴って船で任地へ赴いた。任地に着いてからというもの、仕事は順調で二人の仲も睦まじく、何不自由のない生活を送ることができた。しかし、叔文は蘭英に隠れて毎月、生活費を都の妻に送っていた。


またたく間に三年の任期が過ぎた。叔文は都へ帰ることになった。蘭英と共に船に乗り込んだが、都に近づくにつれて気が重くなるばかりであった。


「さてさて、困ったことになったぞ。蘭英は俺が女房持ちだなんて知らないし、もちろん女房もあの女のことは知らない。もしも、蘭英を連れて家に戻りでもしたら、大騒ぎになること間違いないぞ。騒ぎになるだけならいいが、重婚罪で訴えられでもしたら厄介だ。特に蘭英は金を持ってるからなあ。訴訟を起こすのなんて朝飯前だろうて」


叔文は何とか打開策を見出そうとしたが、いくら考えても思い浮かばない。その内、邪念が頭をもたげてきた。


「金といえば、あの女かなり貯め込んでるみたいだな。へそくりだけでも千貫は下らないはずだ。装身具類もかなりいいのを持ってるみたいだし…。あの女がいなくなれば、騒ぎも起こらないし、金も俺のモノってことか。これはいっそのこと殺しちまうしかないかなあ…」


殺す、という考えにとらわれだしたら、もういけない。頭の中は、もう蘭英を殺す計画でいっぱいである。そこで、蘭英に酒を飲ませしたたかに酔わせておいて、河に突き落とすことに決めた。


殺害計画は月のない夜に決行された。蘭英と一緒に酒を飲み出したのはいいが、何といっても相手は元妓女、酒には滅法強い。しかし、自分がつぶれる前に相手をつぶさねば、と叔文も必死であった。頃合いを見て、叔文は風に当たろう、と蘭英を船べりに誘った。


「私、幸せだわ。だって、今や押しも押されぬお役人の奥方ですよ。都に戻ったら昔の妓女仲間に今の私を見せてやらなきゃ」


「君のおかげで今日の僕があるんだ。いつまでも僕の側にいておくれ。あ、何だろう。今水音がしたよ」


「何かしら……」


そう言って身を乗り出した蘭英の背を叔文が力一杯押した。蘭英の体がぐらりと傾いてそのまま物も言わず河に沈んだ。続いて叔文は蘭英の女中を、


「奥様が水に落ちた」


とたたき起こし、寝ぼけ眼で起きてきた女中も水に突き落とした。それから大声で叫んだ。


「誰か起きてくれ! 大変なんだ! 妻が、妻が河に落ちた。女中も妻を助けようとして落ちてしまった。船を停めて二人を助けてくれ!」


船中、起き出してきた。船頭が急いで船を岸に着けて、岸伝いに二人の姿を探したが、如何せん、河の流れは早く、おまけに闇夜である。二人の姿を見つけることはできなかった。


「妻よ、妻よ……。この僕を一人にするなんて……。僕も君のところへ行くよ」


叔文は泣きわめいて船から身を投げようとした。それを皆で止めて、


「まあ、まあ、早まりなさんな。奥様のことはお気の毒でした。でも、事故だから仕方がないでしょう」


となだめた。



(つづく)


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