罰を受けた美男子(後編)

叔文(しゅくぶん)は開封に着くまでの間、愛妻を事故で失った哀れな夫として見事に振る舞った。船客の中にはその姿に同情して見舞金をくれる者もあった。そして、船は開封に到着した。


叔文は蘭英(らんえい)のへそくりと装身具、船客からの見舞金をまとめると自宅に飛んで帰った。


「今、帰ったよ」


叔文は出迎えた妻をねぎらって言った。


「うちが貧乏なばかりにお前には本当に苦労をかけたなあ。折角職を得たのに、お前を連れて行ってやることもできなかった。亭主として不甲斐なかったことと思うよ。でも、お前が家を守ってくれたおかげで、俺は安心して単身赴任ができた。地方勤務は結構、実入りがよかったよ。かれこれ二、三千貫の蓄えができた。土産もあるぞ、簪だ。いつもお前にはみすぼらしい身なりしかさせてやれなかった」


懐から簪を取り出すと、妻に挿してやった。もちろんすべて蘭英の持ち物であった。


「俺、考えたんだよ。これからもいつ地方勤務になるかわからん。そうなると、また別居だ。もう、お前に寂しい思いをさせるのは忍びなくてなあ。いっそのこと宮仕えなんぞやめて、この金を元手に商売でも始めたらどうかと思ってるんだが」


妻は一も二もなく賛成した。そこで質屋を開業したが、大成功で二、三年もすると生活は見違えるほど豊かになった。叔文の男ぶりもますます上がり、花街での人気もうなぎ上りであった。


冬至のことである。叔文は妻を連れて相国寺へ参詣に出向いた。この日は縁日ということもあって参詣客で寺の付近はごった返していた。寺の前に来た時、叔文は妙な胸騒ぎがした。どうもずっと誰かに見られているような気がする。振り返ると、女が二人こちらを見ていた。よく見ると、蘭英と女中に似ている。しかし、二人は死んだはずである。なおもじっと見ていると。蘭英に似たその女がこちらに向かって手招きをしている。叔文は用事にかこつけて妻を先にやり、女について行った。


寺の回廊を曲った所で女が手すりに腰掛けて待っていた。


お久しぶりですこと」


やはり蘭英であった。


「君、無事だったの?」


「ええ、おかげさまで。この前はあなた様にとんだ煮え湯を飲まされましたけど。あの後、女中と二人で抱き合ったまま一、二里ほど浮きつ沈みつ流されていくうちに、運良く木に引っかかって命拾いしました。ちょうど声を上げて助けを求めている所に通りかかった方がいらっしゃってね、それで今日ここにこうしていられるわけ」


叔文はどぎまぎしながら言った。


「いやあ、よかった、よかった。あの時、君はベロベロに酔っ払ってたから……。僕も酔っていたし、君を助けてあげることができなくって…。あのコも――女中を指差して――君を助けようとして水に落ちちゃったんだよ」


「もう前のことはおっしゃらないで下さいな。腹が立つだけです。まあ、私はこうして元気にしてるんだから、今さらあなたのことを怨みはしませんよ。私達、魚巷城(ぎょこうじょう、開封の地区名)の近くに家を借りて住んでおりますの。明日にでもいらして下さい。いらっしゃらなければ、私にも考えがありますから。言っている意味はわかりますよねぇ」


「行く行く、行くとも。魚巷城のどの辺なの?」


「このコに迎えに行かせますから、すぐにわかります。では、明日、お待ちしてます。積もる話もございますので」


そう言って、蘭英は女中を連れて立ち去った。


残された叔文は、まずいことになった、と気が気でなかった。そこで、寺子屋を開いている王震臣(おうしんしん)という友人を訪ね、ありのままを話して相談した。震臣はしばらく考えてからこう言った。


「やはり女の家に行くしかないなあ。何を言われても平身低頭謝り倒すまでだ。行かなきゃ、やっこさん、君のことを訴えるぜ。そうなったら、やばい、やばくないどころの騒ぎじゃすまないぞ」


「やはり、行くしかないのかなあ……」


震臣は暗い表情の叔文の背を叩いて、快活に言った。


「そう暗い顔をしなさんな。まさか取って食われることもないだろう。まあ、全ては君が播いた種さ。いい男ってのも苦労するなあ。ま、その男ぶりのおかげでさんざんいい思いもしたんだろうけどさ。こりゃひょっとすると、その女にとことん奉仕したら許してもらえるかもしれないぜ」



翌日朝早く、叔文は市場で酒や料理、茶菓を買い込むと、家人に気づかれないように口入れ屋で小僧を雇って荷を担がせて、魚巷城の蘭英の家へ向かった。魚巷城の近くに行くと果たして女中が迎えに出ている邸があった。叔文は小僧に呼ぶまで外で待っているように言いつけて、女中のあとに中に入って行った。そして、叔文はそのまま出てこなかった。



「おい、小僧さん、何してるんだい? ご主人に叱られて家に入れないのかい?」


夕暮れ近くになって、近所の人が小僧に声をかけた。


「ちがわい。おいら、ご主人様のお伴でこの家に来たんだい。ご主人様はここで待つようにって言い残して中に入ってったんだけど、いつまで経っても出てこなくってさ。それで、ずっと待ってるんだ」


小僧がそう答えると、近所の人がびっくりした様子で言った。


「えっ! なんだって? この家はもうずっと空き家だぞ」


そこで灯りを手に一緒に入ると、中はほこりがうずたかく積もり、蜘蛛の巣だらけであった。


「朝来た時は、ほんとに人が住んでたんだよ」


小僧は泣き出しそうになった。奥の寝室に踏み込むと、埃だらけの床の上に仰向けに倒れる叔文の姿があった。すでに事切れていた。不思議なことに手を後ろに組んで、まるで死刑を執行された罪人のような姿勢であった。


近所の通報ですぐに役人が駆けつけた。小僧の供述から死体の身元が分かり、すぐに叔文の妻が呼ばれた。身元の確認はすんだが、死体を検分してもまったく死因がわからなかった。外傷がなく、顔に驚愕の表情が見られることから、極度の恐怖を味わったことが死因であろうと結論づけたのであった。



(宋『青瑣高議』)



中国怪談 (角川ホラー文庫)

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