魚玄機

長安の咸宜観(かんぎかん)に魚玄機(ぎょげんき)という女道士がいた。字(あざな)は幼微(ようび)といい、もとは長安の娼家の娘であった。絶世の美貌と才気に恵まれ、書や文を好んだ。特に詩作に、その才能を発揮した。十六歳の時、妓女となったが、金で買われる暮らしを嫌い、出家を志していた。


咸通(860〜873)はじめ、魚玄機は出家して咸宜観で女道士となった。咸宜観で彼女は詩才をますます開花させ、長安の名だたる文士達に絶賛された。若く、美しい魚玄機を男達は放っておかなかった。風流を好む文士達は争って、魚玄機との交際を求めた。彼女自身、降るような賞賛を受け、その行いは奔放なものになっていった。


魚玄機には緑翹(りょくぎょう)という女の弟子がいた。聡明な美少女であった。ある日、魚玄機は隣の道観へ招かれて出かけて行った。出かける前に、緑翹に命じた。


「留守番を頼みますよ。お客さんが来たら、お隣とどこそこへ行っていると伝えるように」


夕方、魚玄機が帰宅すると、緑翹は言った。


「誰それさんがおいでになりましたが、お師匠様がご不在だと知ると、帰って行かれました」


それは魚玄機が日頃から昵懇(じっこん)にしている相手、つまり恋人であった。魚玄機は、緑翹が自分の恋人と関係したのではないかと疑った。


夜がとっぷり更けてから、魚玄機は緑翹を寝室に呼び入れると、厳しく問い詰めた。


「あの人とは何もなかったんだろうね」


「お師匠様にお仕えして何年にもなりますが、今まで何の間違いも犯したことはありません。今日のお客様だって、門の中には入れておりません。扉越しにお話しただけです。お師匠様はどうやらあたしのことを疑っておいでのようですね。お言葉ですが、あたしも出家の身です。色事になど興味はありません」


魚玄機は緑翹の言葉を自分に対する皮肉と受け取り、激怒した。緑翹の着物をはいで一糸まとわぬ裸体にすると、その白い肌に向かって鞭を振り下ろした。緑翹は絶叫した。


「天地神明にかけて、何もしておりません」


数百回も鞭打たれた緑翹は全身血まみれになり、息も絶え絶えになった。緑翹は苦しい息の下から、水一杯をほしい、と言った。魚玄機が水を渡すと、緑翹はそれを地面にまいた。


「出家の身でありながら、色事にばかりうつつを抜かしていたのは、お師匠様、あなたの方でしょう。そのあげく、弟子のあたしにまで疑いを向けた。何にもしていない、このあたしにまで。自分がふしだらだと、ほかの女もふしだらに見えるのですか? あたしはあなたのそのきたない手で殺されようとしている。ああ、苦しい、悔しい。この苦しさ、悔しさ、死んでも忘れるものか。天に訴えてやる。そして、あなたに罰を下してもらう!」


緑翹は最後の力を振り絞って叫んだ。そして、息絶えた。魚玄機は緑翹の死体を裏庭に埋めた。咸通九年(868)の正月のことであった。


それからしばらくして、魚玄機に緑翹のことをたずねる者があった。魚玄機はそっけなく、


「雨の降った暗い日に、逃げてしまいました」


と答えた。


ある日、咸宜観で酒宴が開かれた。招かれた客の一人が裏庭に用を足しに出た。見れば、青蝿数十匹が庭の一箇所にたかっている。追い払っても、青蝿はすぐに同じ場所にたかった。その時、かすかになまぐさいことに気づいた。地面からかすかに血がしみ出ていた。その帰り道、客は何気なく下僕にこのことを話した。下僕は街の巡邏(じゅんら)をしている兄にこの話をした。巡邏はかつて魚玄機から金をゆすり取ろうとして拒絶されたことがあり、このことを深く恨んでいた。


巡邏は咸宜観を見張ることにした。咸宜観に出入りする者に、変わったことはないかときいてみると、


「そういえば緑翹という可愛い弟子がいたのだけれど、近頃、ちっとも見ませんね」


という。そこで、数人の巡邏とともに咸宜観を捜索した。例の青蝿のたかっていたところを掘ってみると、果たして緑翹の死体が現われた。緑翹の死体は生きているようで、少しも腐敗していなかった。


魚玄機は殺人の罪で捕らえられた。才能を惜しむ長安の名士達は助命を嘆願したが、その秋、死刑に処せられた。



(唐『三水小牘』)