王大

穎陽(えいよう、河南省)の蔡四(さいし)は文才豊かな人であった。唐の天宝年間(742〜756)はじめに、彼は家族とともに陳留(ちんりゅう、河南省)の浚儀(しゅんぎ)に移り住んだ。


蔡四が詩を吟じると、いつもどこからか鬼が現われ、榻(ねだい)に上がってきて意味をたずねたり、ほめたりした。


蔡四が、


「どちらの鬼神がご降臨なさったのでしょうか?」


とたずねると、鬼は、


「私の姓は王と申しまして、兄弟のうちで一番年長です。あなたの才徳をお
慕いしてまいりました」


蔡四ははじめのうちは恐ろしく思ったが、だんだんに慣れてきて、いつしか互いに「王大」「蔡四」と呼び合うようになった。


蔡四の友人が若い下僕を召し使っており、これが幽鬼や化け物を見ることができた。蔡四が呼んで見させると、下僕は震えあがって言った。


「身の丈一丈(当時の一丈は約 3.1メートル)あまりもある大きな鬼が、後ろに数匹の小鬼を従えております」


蔡四は邸の西南の隅に小さな木の小屋を建て、そばに様々な果樹を植えた。鬼が来るのを待って、蔡四は言った。


「人と鬼とでは住む世界が違うのは、君もわかっているだろう。昨日、君のために小屋を建てたよ。ここに住むといい」


鬼は大いに喜び、蔡四に何度も礼を述べた。その後、鬼は蔡四と話し終わると、いつもこの小屋で休むようになった。


それからしばらくして、鬼は蔡四に言った。


「娘を嫁入りさせたいので、しばらく邸を貸してはもらえまいか?」


「母屋には年老いた母がいるんだ。邸に鬼の気が染みつきでもしたら、年寄りには毒だよ。どこかよその邸を借りてくれ」


と、蔡四は拒んだが、鬼は、


「母君がお住まいの母屋には決して足を踏み入れないよ。だから、七日の間、貸してくれ」


と言って頼み込んだ。蔡四もしぶしぶながら邸を貸すことにし、七日の間、家族を連れてよそへ移ることにした。


七日後に邸に戻ったが、別段、変わったところはなかった。


数日後、鬼が、


「法要を営むから、私の代わりに供物用の食器や帳を借りてきてくれ」


と、頼んできた。蔡四が、


「ここに来てまだ間がないから、借りられるような人がいないんだ。私のものしか貸してあげられないよ」


と答えると、鬼は「それでもいい」と言った。


蔡四はさらにたずねた。


「法要はどこでするのかね?」


「繁台(はんだい)の北だ。この世の真夜中が、あの世では斎(とき、法要でふる舞われる精進料理)を食べる時間なんだ」


「見に行ってもいいかね?」


「どうしてだめなものか。大歓迎だよ」


蔡四は鬼が集まるので、家族全員に千手千眼仏(せんじゅせんがんぶつ)の護符を身に着けさせた。また、鬼に近寄られないよう、身を清めて生臭を断たせた。


王大が法要を営む日になると、蔡四と家族は一心に呪文を唱え、身を清めてから、月明かりを踏みながら、繁台へ赴いた。遠くの帳の中に大勢の僧侶の姿が見えたので、家族は呪文を唱えながら近づいていった。すると、そこにいた鬼達は皆、取り乱して立ち上がった。どうやらこちらを恐れているものと思われた。


さらに近くまで行くと、鬼達はいっせいに逃げ散った。王大は十人あまりを引き連れて、北へ逃げた。蔡四はその後を追いかけた。五、六里(当時の一里は約 560メートル)ほど追い、林の中の墓地まで来たところで王大達は姿を消した。蔡四はその場所をしっかり覚えてから帰った。


翌日、蔡四は家人を連れて、王大の消えたところを見に行った。そこは古い荒れ果てた墓で、中には明器(めいき、死者が生前使用した道具や使用人を模した副葬品)が数十もあった。その中で一番大きいものの額に「王」と書いてあった。


「王大の正体はこれか」


薪を集めて明器をすべて焼き払ったところ、二度と王大は現われなかった。



(唐『広異記』)