夜来香の女

定陶(ていとう、山東省)の徐生(じょせい)は雅やかな美少年であった。物腰は柔らかで、いつもしゃれた身なりをしていた。


隣家の晁(ちょう)氏の庭に一株の夜来香があった。高さは庇(ひさし)まであり、数千もの花を咲かせていた。花は盃ほどの大きさがあり、清らかな香りを放った。徐生は花の咲く頃になると、必ず隣家の庭を訪れてその美しさを楽しんだ。


ある月の明るい夜のことであった。隣家の庭に続く門の脇から女物の袖がちらりと見えた。目をこらしてみれば、それは女であった。白い上衣に緑色の裙子(スカート)をはいた、まばゆいばかりに美しい女であった。女は何がおかしいのか、クスクスと笑っていた。


「どこから来たの?」


徐生がたずねると、女は答えた。


「晁氏の娘ですわ。素娟(そけん)と申します。あなたの風雅をしたって、ふしだらを承知で忍んでまいりました」


その言葉通り、徐生が抱き寄せても女は抗わなかった。女の体からは夜来香のような香りがした。


ことがすむと、女は、


「このことは誰にもお話しにならないで。人の口ほどこわいものはありませんから」


と念を押し、夜明けに帰っていった。


夜になると、女は徐生のもとを訪ねてきた。女は徐生の机の上に試験勉強のための書物が置いてあるのを見るなり、女は怒った様子で言った。


「あなたのことを風雅なお方だと思って親しくしているのですよ。それなのに、こんな汚らわしいものを人目につくところに置いておくなんて。すぐに焼いてちょうだい。さもなければ、ここにはもう来ませんよ」


徐生は女の言葉に従って、机の上の書物を捨てた。


明くる夜 女は徐生に詩を詠ませた。徐生は今まで試験勉強しかしたことがなかったので、うまく詠むことができなかった。すると、女は漢魏六朝や唐の詩数百篇を手本にして、自ら筆を執って手直ししてくれた。こうして、毎晩、詩を詠み続け、数か月も経つと自然と口から詩が流れ出るようになった。こうして、二人はある時は香を焚きながら、ある時は銘茶(めいちゃ)をすすりながら、詩を唱和して楽しんだ。


徐生はもともと体が弱いところへ女と接するようになったため、日に日に痩せていった。女は徐生のやつれようにしばしば涙を落としたが、どうすることもできなかった。


ある夜、息子の身を案じた両親が徐生の書斎に入ってきた。ちょうど、徐生は女と詩を詠んでいるところであった。両親は誰かと問いつめようとしているうちに、女の姿は見えなくなった。この時になって、ようやく徐生がもののけに魅入られたことがわかった。


両親は息子の身柄を母屋に移し、医者を呼んで診せた。この日以来、女はふっつりと現われなくなった。やがて、徐生は死んだ。


夜来香の花の盛りの頃のことであった。晁氏の身内の許なにがしが、夜来香がみごとに咲き誇っているのを見てその下で酒を飲んだ。すでに日が暮れたので、その夜は晁氏の家に泊まった。


その夜中、許は白い衣をまとった女が夜来香に寄りかかって泣いているのを見た。女は泣きながら、か細い声で詩を詠んだ。



   途中でお別れすることになって、本当に悲しいこと
   海が涸れ、石が朽ちようとも、恨みはつきません
   香が消え、玉が砕けるように、あなたは逝ってしまった
   私だけこの世に残ったところで何が楽しいでしょう



詠み終わると、女はすすり泣いた。

許は晁氏の家族かと思ったが、面と向かってたずねるのははばかられた。それに、どうして奥で暮らしている若い娘が、これほど悲哀にあふれた詩を詠むのか。疑念は尽きなかった。


翌朝、夜来香を見に行くと、花はすべて散っていた。葉もしおれ、枝も勢いを失って垂れ下がっていた。夜来香はすでに枯れていたのであった。



(清『翼ケイ稗編』)



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