禍をよぶ画眉
明の天順年間(1457〜1464)のことである。
杭州(こうしゅう、浙江省)に住む沈(しん)なにがしは一羽の画眉(がび、ほおじろのこと)を飼っていた。
この画眉はたいそう声が美しく、幾度も鳴き比べで勝利をおさめていた。安徽(あんき)から来た商人がこの画眉を十両の銀子で買い取ろうとしたことがあったが、沈は手放すことを承知しなかった。
この話はまたたく間に杭州城中に広まり、誰一人知らぬ者はないほどであった。
ある朝早く、沈はいつものように画眉を籠に入れて西湖のほとりへ散歩に出かけた。突然、激しい腹痛に襲われ、湖の堤にうずくまったまま動けなくなってしまった。
ちょうどそこへ、顔見知りの桶職人が道具箱を担いで通りかかった。沈は桶職人の手を握って、家族を呼んで来てくれるよう頼んだ。桶職人は道具箱を置いて沈の家へ走った。
桶職人から知らせを受けた家族が急いで堤まで行くと、沈が血まみれで倒れていた。首は切り取られて持ち去られ、鳥籠もなくなっていた。死体のそばには蓋の開いた道具箱が置いてあり、その中に血まみれの鉈(なた)があった。
沈の家族は桶職人を縛り上げて役所に突き出した。桶職人は手ひどい拷問を受けて、こう自白した。
「確かにあの男を殺して鳥を奪いました。鳥は売り飛ばし、切り取った首は湖に捨てました」
役所では手分けして湖をさらったが、沈の首は見つからなかった。肝心の首が見つからなければいくら自白があっても殺人の罪が立件できない。そこで、沈の首を見つけた者には懸賞金を出す、と布告した。
それからしばらく経って、首を見つけたという漁師の兄弟が役所に現われた。
「湖で漁をしていて、網にかかりました」
首はかなり長い間水に浸かっていたと見えて、すっかり腐乱(ふらん)していた。確かに沈のものかどうか判別はつかなかったが、役所はこれを沈の首と断定した。
その年の秋、桶職人は死刑に処せられた。
数年後、杭州のある人が蘇州へ行った。一軒の家の前を通りかかると、美しい画眉の声が聞こえてきた。
ふと見れば軒先に吊り下げられた鳥籠に、一羽の画眉が入っていた。声といい、姿といい、沈の画眉とよく似ている。
その人が飼い主にどうやって手に入れたのかとたずねると、
「杭州から来た人から買った」
とのこと。
その人は杭州に戻ると、早速、沈の家族にこのことを告げた。沈の家族が鳥を売ったという男を訪ねると、
「身に覚えがない」
と言い張る。そこで、沈の家族はこの男を役所に突き出した。男は厳しい取り調べを受けて、洗いざらい白状した。
その日、湖のほとりを歩いていると、うずくまる沈を見かけた。そばには噂の画眉の入った籠が置いてあった。男の目に桶職人の道具箱が入った。にわかに悪心を起こしたその男、道具箱の中から鉈を取り出すと、沈の首を切り落として殺した。そして、首は近くにある枯れた柳の洞(うろ)に放り込み、鳥籠を持って逃げた、と言うのである。
ならば、漁師の兄弟が持って来たあの首は誰のものなのだろうか。役所が兄弟を召し捕り、誰の首か厳しく問い詰めたところ、あっさり白状した。
「あれは親父の首です。あの騒ぎと同じ頃にちょうど死んだので、金欲しさに首を切り落として水に浸けておいたものです」
沈を殺した真犯人はもとより、漁師の兄弟も父親の死体を損壊した罪で死刑が確定した。
たった一羽の画眉が原因で五人の人間が死ぬ羽目になるとは、何と恐ろしいことだろう。
(明『七修類稿』)