東晋の隆安(りゅうあん)年間(397〜401)のことである。曲阿(きょくあ、江蘇省)の謝盛(しゃせい)が湖に舟を浮かべて、菱の実を採っていると、一匹の蛟(みずち)がこちらに向かって泳いで来るのが見えた。


謝盛は舟を操って逃げようとしたが、間に合わず、蛟はすぐ後ろまで迫ってきた。謝盛は叉(さすまた)で蛟を刺して殺した。家に戻ってからも、恐ろしさで体の震えが止まらなかった。


時は流れて元興(げんこう)年間(402〜404)となった。その年は旱魃で、湖の水も干上がった。謝盛が数人の仲間と干上がった湖を歩くうちに、以前、蛟を殺したところにさしかかった。見ると、泥土の中に叉が落ちていた。謝盛は拾い上げて言った。


「おれの叉だ」


仲間に問われるままに、謝盛は蛟を殺した時のことを話した。


「こんなところ、早く離れよう」


そこから数歩も行かないうちに、謝盛は胸の痛みに襲われた。急いで帰宅したが、一晩で死んだ。



六朝『幽明録』)