震える手

蒋(しょう)太守が直隷(ちょくれい)の安州(河北省)で一人の老人と出会った。

老人は常に両手を震わせており、その様は鈴を振る仕種に似ていた。初めは中風なのかと思ったが、その物言いははっきりしている。不思議に思った蒋太守は老人に手の震える理由をきいてみた。以下はその老人が語った話である。



手の震える理由かの? 別に老いぼれたから震えてるわけではないぞい。


若い頃はこの手もしっかりしておったわ。あの騒動の前はな。お前さんも、あんな恐ろしい経験をすれば手の一本や二本、震えるようになるわ。


わしの家はの、山間の小さな村にあった。村と言うても数十戸しかない小さな集落で、皆、親戚のようなものじゃわ。争いごとのない平和な村じゃった。ヤツが来るまではな。ヤツというのは僵尸(キョンシー)じゃよ。


何処からやって来たのか、山中にいつの間にか一匹の僵尸が住み着きおった。そいつは飛ぶことができて、日が落ちると村にやって来ては子供をさらっては食ってしまうんじゃ。だからわしらは日没を迎えると、厳重に戸締りをして子供を隠さねばならなんだ。それでもちょっとした隙にさらわれてしまうんじゃ。


子供をさらわれた親の悲しみようはたいそうなものだったが、わしらにはどうすることもできなんだ。僵尸の潜んでおる洞穴は分かっておった。しかし、どこまで続いておるか分からんくらい深くての、よう入らんかったわ。


そんな時じゃ。僵尸退治を得意とする道士が街におるという噂を耳にしたのは。


名前は何て言うたか忘れてしもうたが、皆でその道士を街まで訪ねに行った。もちろん手土産を持ってじゃ。ワわしらのような山間で自給自足の生活をしておる者には大変な散財じゃ。しかし、あのままヤツを放っておいたら、村が滅んでしまう。そこで、皆でわずかな蓄えを出し合ったんじゃ。


道士は快く引き受けて、早速、わしらの村まで来てくれたわ。村の広場に祭壇を作って、集まったわしらにこう言うたんじゃ。


「この私が来たからには安心するがいい。僵尸というものはな、日の光を恐れる。だから、昼間は山の洞窟に潜んで、日が落ちると村に下りてくるわけだ。ならば、洞窟に戻れないようにしてやればいい」


道士の言葉にわしらは大きくうなずいた。その時、誰かが手を挙げて言ったんじゃ。


「でも、ヤツは空を飛べますぜ」


道士は胸を叩いて言った。


「そのために私の法力がある」


そして、剣を鞘から抜くと、宙に何やら印を結んだ。


「私の法力にかかったら、あ奴めも飛ぶことなどできぬわ」

わしらはその言葉に勇気づけられたわ。このお方がおればわしらには怖いものなどない、と思ったのは本当じゃ。


「さすれば、日の出まで時間稼ぎができる。あ奴に洞窟の外で朝日を拝ませてやろうではないか。ただ、これは私一人ではできぬことだ。私はあ奴がこの村に下りてきた後、飛べぬように結界を張らねばならぬ。そこで、あ奴が出た後の洞窟へ誰かに行ってもらいたいのだ。僵尸は日の光と同じくらい鈴の音を恐れる。だから、あ奴が洞窟に入れぬよう中で鈴を鳴らし続けてほしいのだ」


それを聞いた途端、わしらのにわかごしらえの勇気はみるみるしぼんでいった。あの洞窟の中で僵尸の戻ってくるのを待つだなんて、こんなぞっとすることはないからの。皆、押し黙ってしまったんじゃ。


重苦しい沈黙の中、一人だけ道士の呼びかけに応えた者がおった。このわしじゃ。あの頃は血気盛んじゃったからな、僵尸退治に一役買ったとなれば村の英雄じゃ。若気の至りじゃよ、まったく。気がついたら進み出ていたわ。


道士はわしに鈴を二つ渡して言うたわ。


「あ奴が洞窟を出たら、中に入って待て。あ奴が戻ってきたら、この鈴を振れ。何が起きても振り続けるのだ。もしもちょっとでも鈴の音が途切れたら、その時は自分の命も途切れると時だと思え」


わしは後悔した。今のは間違えて返事をしたと言って断ろうかと思った。しかし、皆の衆の注目を浴びたら、何だか自分が大層な人間になったような気がしてな。


「おう、任せて下さい」


今考えても、下らん見栄を張ったものじゃ。


夕刻、わしは一人で洞窟へ向かった。そして、ヤツが村へ下りていくのを鈴を握りしめて待ったわ。日がとっぷりと暮れると、洞窟の奥から何やら姿を現した。真っ暗で姿形は見えなんだが、闇の中で二つの眼が爛々と光っておった。眼の放つ光はそのまま村へ下りていったので、わしは洞窟に入った。そしてヤツが戻ってくるのをジッと待った。


どの位経った頃だったか、村の方から二つの光がこちらへ近づいてくるのが見えた。ヤツの眼の光じゃ。


わしは早速手にした鈴を思い切り振った。光は鈴の音を聞くと、ピタリと動くのを止めた。振り続ける内に腕がだるくなって少し音が弱まった。すると光はまた動き出して、目と鼻の先の所まで近づいてきたわ。わしは慌てて力一杯、鈴を振った。すると、その光はこれ以上近づくことができずに、洞窟の前を行ったり来たりしておった。時折、


「フーッ、フーッ」


とヤツの唸る声が聞こえた。わしは髪が逆立ったぞ。腕は痛いのを通りこしてしびれてきたが、そんなことになど構ってはいられなかった。振って振って振り続けたわ。


そうこうする内に遠く松明の灯が見えた。段々こちらへ近づいてくるのじゃ。村の連中がヤツを追っかけてきたんじゃわ。皆の手にした松明の灯の中にヤツの姿が浮かび上がった……。


……まあ、ヤツがどのような姿をしていたかなど、思い出したくもないことじゃ。後ろからは鋤や鍬を手にした村の連中が、洞窟の中ではわしが鈴を振り続けておるから、ヤツも進退窮まってしもうた。睨み合っている内に東の空が白んできた。焦ったヤツが村の連中に飛び掛かったので、皆は応戦した。


そして、遂に日が昇った。ヤツめ、突然、木偶(でく)のように地面にぶっ倒れて動かんようになってしもうた。また、悪さをしても困るんで、早速、屍に火を放って焼いたわ。


わしはその間中、無我夢中でずっと鈴を振っておった。呼ばれて初めて洞窟を出たのじゃが、今日に至るまでわしの両手はずっと、鈴を振り続けておるのじゃよ。



(清『子不語』)