秘密

この不思議な話は順治(1644〜1661)初めのことであると聞いている。



某という人がいた。名前は忘れた。この某は妻と前後して亡くなり、その後、三、四年して、今度は妾が亡くなった。


それから間もなくして、某の家の使用人が夜出かけた。その帰り道、雨に降られ、東岳祠(とうがくし)の軒下で雨宿りをするうちに眠ってしまった。すると、夢うつつに亡くなったはずの某が首に枷(かせ)をかけられて庭に立っているのが見えた。その後ろには妻と妾がうなだれて従っていた。


階の上では衣冠も厳めしい城隍(じょうこう)神とおぼしき人物が、腰をかがめて東岳の神に伺いを立てていた。


「某がこの二人の身を汚したのはまさしく罪なり。されど、二つの命を生かしたのは功なり。その功罪を差し引いて酌量するべきでしょう」


すると東岳の神が承服しかねる様子で答えた。


「この二人は死から逃れたいばかりに、屈辱に甘んじたのだ。某がこの二人を生かしたのは、汚さんと欲していたからだ。それなのに罪を論ずるのに酌量せよなどと、どうして言うのだ?」


そして、何やら指図してから立ち去った。それに続いて某及び妻と妾も立ち去った。使用人は恐ろしさのあまり口もきけなかった。


夜が明けて家に戻ると早速このことを家人に告げたのだが、誰一人その意味がわからなかった。すると、古くからいる老僕が突然、泣き出したかと思うと、


「何ということだ。ついにあのことで罰せられる時が来たとは」


と叫んだ。


皆がそのわけを問うと、


「このことはわしら父子しか知らなんだことだ。旦那様にはご恩を蒙(こうむ)っていたので、何があっても言うまいと誓っていたのだが、もう時代もかわったこととて話してもよかろう。実はな奥様とお部屋様は女ではなかったのだ」


とポツリポツリと語り出した。




あれは前朝(明)の天啓の御世(1621〜1627)のことだ。宦官の魏仲賢(ぎちゅうけん)が権勢を振るっていた時代よ。


魏仲賢は畏れ多くも帝ご寵愛の裕妃を殺した上に、内密に仕えていた宮女から宦官まですべてを東廠(とうしょう、日本の特高のようなもの)に引き渡した。東廠というのはまさにひどいところでな、引き渡されたが最後、惨たらしい死が待っているだけよ。


この中に年若い二人の宦官がいた。一人は名を福来(ふくらい)、もう一人は双桂(そうけい)といったのだが、これがうまい具合に逃げ出すことに成功した。そして、かねてから面識のあった旦那様のもとに身を寄せたというわけだ。二人が当家の門を叩いた時、旦那様はちょうど商用で都におられた。


旦那様は密かにこの二人を自分の書斎に引き入れなさったのだが、わしが窓の隙間からその様子を覗いていたことには気が付かなかった。旦那様は二人にこう言った。


「君達二人は声から姿形まで男でもなければ女でもない。どう見ても常人とは違う。もしもこのまま外に出たが最後、すぐに捕まってしまうだろう。しかし、女のなりをしてしまえば、おいそれと見分けはつくまい。ただ、独り身の女が他人の家に身を寄せているというのは、ちと具合が悪い。妙な疑いを招くだけだ。そこで、どうだろう。君達は宮中に入るにあたって、もう男ではない体になっている。不本意かもしれないが、いっそのこと私の妻と妾になっては?そうすればことが露見する恐れはないだろう」


二人はしばらく考え込んでいたが、進退窮まった立場で何の不満があろうか、旦那様の提案に従うことにした。そして、ご婦人のなりをし、耳輪を付けたのだ。


また、旦那様は街で骨を軟らかくする薬を買ってくると、二人に纏足をさせた。数ヵ月後には、二人のご婦人のできあがりというわけだ。そして、旦那様は二人を車に乗せて、故郷に戻っておいでになった。都で娶ったと言われてな。


この二人、生まれた時は正真正銘の男であったが、長らく宮中で暮していたから色も白ければその物腰も柔らかで、少しも男臭いところなどない。それにどこの誰が男を女に仕立てるようなことをすると想像できよう。そういうわけで誰にも悟られることがなかった。この二人が家事一切に疎(うと)くても、旦那様の寵愛をかさに着て怠けているだけだ、と皆して都合よく解釈していた。


二人は旦那様を命の恩人と思って、亡くなる寸前までかいがいしくお仕えなさった。しかし、こうしてみると、旦那様は二人の窮状を見かねて助けたのではなく、ただつけ込んだだけだったようじゃなあ。だから、あの世で追及される羽目になったのよ。



老僕は最後にこうしめくくった。


「まったく人は欺けても、鬼神は欺けんものだ」



(清『閲微草堂筆記』)