童謡

由拳県(ゆうけんけん、浙江省東北部)に湖がある。晴れた日には水底に城壁に囲まれた街の姿を見ることができる。また、この湖の北六十里の伊莱山(いらいさん)の西南に神母廟がある。簡素な石室があるだけなのだが、廟の前の石には引っかいたような跡がある。これについて次のような言い伝えがある。


秦の始皇帝の時、当時長水県と呼ばれていたこの県で奇怪な童謡が流行った。


「お城の門に血がつけば、お城は沈んで湖(うみ)の底。みんな溺れて大変だ、みんな魚になっちまう」

と言うものであった。


誰もこの童謡を本気にしていなかったのだが、一人の老婆は心配して毎朝、城門が開く前に犬を連れてやって来ては血がついていないのを確認していた。門番がこれを怪しんで理由をたずねると、老婆は童謡のことを説明した。すると門番は、


「なあんだ、婆さんはそんなことを本気にしているのかい」


と笑った。老婆は、


「だども、湖になっちまったら大変だで……」


と不安そうに首をすくめて帰っていった。この時、門番にちょっとしたいたずら心が浮かんだ。あの善良な婆さんをからかってやろうという他愛のないものである。そこで、野良犬を一匹打ち殺すと夜の内にその血を城門に塗っておいた。


翌朝、いつものように犬を連れて城門の様子を見に来た老婆は目をむいた。城門に昨日までなかった血がついているではないか。


「大変じゃ〜!!」


老婆はそう叫ぶと、飼い犬を引きずって城の北の伊莱山へと一目散に逃げた。


その頃、水がひたひたと長水県城へと押し寄せていた。初めは足を濡らす程度だったが、徐々に水嵩を増し、いつの間にか膝にまで達していた。不思議なことに水嵩が増えるとともに、県城の人々の体にも変化が生じたのである。県の主簿が部下を県令のもとに遣わして大水が出たことを報告させた。


県令は使者の姿を見ると、


「その姿は一体どうしたのだ?」


と驚ろきの声を上げた。使者の姿は鱗に覆われていた。使者は、


「ああ、閣下のお体も魚に変わりつつあります」

と辛うじて人間の声で答えたが、最後の言葉は水に呑み込まれてしまった。


このようにして長水県は水没した。県城のあった所は深い湖になってしまったのである。助かったのは老婆とその飼い犬だけだった。


廟の前の引っかいた跡は老婆の飼い犬がつけたものだという。



六朝『神異伝』)