西湖の尼僧

臨安(りんあん、杭州)にたいそう美しい妻を持つ役人がいた。一人の若者がひょんなことからこの妻に懸想(けそう)し、毎日、一目その姿を拝もうと、役人の家の向かいにある茶店に通うようになった。日がな一日茶店に坐り込み、役人の門が開くたびに、道に出て様子をうかがうのだが、人妻がそうそう外出するはずはない。若者は恋の病にとり憑かれ、日に日にやつれていった。


ある日、若者がいつものようにぼんやりと茶店に坐っていると、役人の家から一人の尼僧が出てきた。若者は何を思ったか、尼僧の後をつけて行った。尼僧は西湖のほとりにある庵に入っていった。若者は通りがかりを装い、門を叩いて茶を一杯飲ませてくれるよう頼んだ。以来、何かと用事にかこつけては、庵を訪れるようになった。


若者は富裕な家の出だったので、尼僧に寺院の修築費として一千貫の寄付を申し出た。尼僧は特に縁(ゆかり)もない若者の申し出を不審に思い、理由をたずねた。


「実は……」


若者は役人の妻との仲を取り持ってくれるよう頼んだ。尼僧も若者の憔悴ぶりに同情し、


「私でよければ何とかいたしましょう。三日後においでなさい」


と約束した。


三日後、尼僧は役人の妻のところへ人をやってこう言わせた。


「寺院の改築がなったことを祝って、大官の奥様達を招いてお斎(とき)を催すことになりました。皆様、お揃いですので、奥方様もどうぞお越しになって下さい」


役人の妻は正装し、二人の腰元を従えて轎に乗り込んで庵に向かった。いざ庵に着いてみると、誰も来ていない。不審に思って帰ろうとしたところ、尼僧がすでに轎を帰してしまっていた。尼僧は適当に言いつくろうと、酒と食事を用意して役人の妻と腰元をもてなした。役人の妻は急な招きに食事もそこそこに駆けつけたため、何杯か飲んだだけであっという間に酔いが回り、眠り込んでしまった。


しばらくして目が覚めてみると、隣に見知らぬ男が寝ている。声をかけてみたが、返事がない。体に触れてみると、すでに冷たくなっていた。これこそ例の懸想した若者であった。役人の妻が酔いつぶれたのに乗じて尼僧が部屋に引き入れて思いを遂げさせたのだが、衰弱しきった体で思いを遂げたと途端、頓死してしまったのであった。


奥方はびっくりして身づくろいも早々に、酔っ払っている腰元をせき立てて徒歩で家まで帰った。幸い夫は外出していたので、このことを知られないですんだ。しかし、二人の腰元の口から、少しずつ庵で何か起きたらしいことが漏れることとなった。


一方、尼僧は事件が明るみになるのを恐れて、若者の死体を寝台の下に埋めてしまった。


十日が過ぎた頃、若者の家では帰らぬ息子の行方を捜し求め、最後に尼僧に立ち寄ったことをつきとめた。この訴えによって、尼僧と役人の妻は捕らえられ、厳しく詮議(せんぎ)されることとなった。これに関わって腰元や下僕など取り調べを受けた者は十数人にも登った。


事実関係が明らかになるまで一年ほどもかかった。結局、尼僧は流刑に処せられ、妻は本人の意思とは無関係に事件に巻き込まれたというわけで、無罪放免となった。



(宋『夷堅志』)