臨城県(安徽省)の南四十里に蓋山(がいさん)がある。その百歩あまりの所にが舒姑泉(じょこせん)がある。泉は清冽(せいれつ)な水を満々と湛えている。


昔、舒家に美しい娘がいた。ある日、父親とともにこの泉の周りに薪を拾いに来た。父娘は薪を拾い終えると、腰を下ろして休むことにした。娘は泉の傍に坐り込み、キラキラ輝く水面を見つめていた。父親はゴロリと横になって一眠りした。


父親が目を覚ました時、娘は相変わらず泉を覗き込んでいた。帰り支度をした父親が声を掛けても、娘は返事もせず、泉を見つめている。業を煮やした父親が娘の腕を引いて立たせようとしたが、不思議なことにビクともしない。まるで、根が生えてしまったかのようであった。仕方がないので、父親は一先ず一人で帰宅して、妻に娘のことを話した。夫婦で連れ立って泉に戻ると、そこに娘の姿はなかった。ただ、満々と水を湛えた泉が静かに横たわっていた。


母親が言った。


「あの娘(こ)は楽の音が好きだった」


そして、村里に引き返すと、楽器の扱える者を何人か集めて、再び泉へやって来た。楽の音が始まると、静かだった泉からコポコポと水が湧き出しはじめ、飛沫(しぶき)を上げて一匹の朱い鯉が水面に跳ね上がった。鯉は楽の音に合わせて、楽しそうに泉の中を泳ぎ回った。以来、泉は舒姑泉(じょこせん、舒家の娘の泉という意味)と呼ばれるようになった。


今でも、泉の傍で歌い踊る者があると、滾々(こんこん)と清水が湧き出すという。



六朝『捜神後記』)