虎の厄

東晋の孝武帝(こうぶてい)の生母李太后は低い身分の出であった。簡文帝(かんぶんてい)には子供がなく、かつて占い師に宮女の人相を見せて、


「子供を産みそうな女はおらぬか」


とたずねた。占い師はざっと見渡して言った。


「そのような女はおりませぬ」


この時、李太后は下働きに過ぎなかったため、この場にはいなかった。そこで、簡文帝が下働きの女達を集めて占い師に見せた。占い師は李太后に見るなり言った。


「この者ならば、御子(みこ)を産みましょう。ただし、虎の厄がありますが」


簡文帝が李太后を寵愛したところ、果たして孝武帝と会稽(かいけい)王司馬道子(しばどうし)を産んだ。


後に孝武帝が即位により、李太后も国母として尊ばれる身分となった。この時、お抱えの占い師が言った。


「虎の厄がありまする」

しかし、李太后は生まれてこの方、虎を見たことがなかった。そこで、李太后は画家に命じて虎の画を描かせた。


「これが虎というものか」


太后は物珍しそうに画を撫でた。そのうち、ふざけて、


「お前がわらわに災いをもたらすだと? できるものならやってみるがよい」


と言って虎の画を打とうとして、はずみで手をしたたかにぶつけた。手は腫れ上がり、これがもとで李太后は死んだ。



 (六朝『幽明録』)