冷気

さる旧家に、二階建ての書庫があり、いつも鍵がかけられていた。不思議なことに開けてみるたびに床に積もった塵の上に女の小さな足跡が残されていた。大きさは二寸あまりで魑魅魍魎(ちみもうりょう)の仕業であることは明らかなのだが、その姿を見たものは誰もいなかった。


劉生という男がいた。軟派な性質(たち)で、この書庫の噂を聞いて美人の幽鬼に是非会ってみたいと思った。そこで主人に頼み込んで、書庫の二階に泊ることにした。


茶に果物、酒と肴を供えると、香を焚いて幽鬼が姿を現すことを祈った。それから灯りを点(とも)したまま蒲団をかぶった。


息をひそめて幽鬼の出現を今か今かと待っていたのだが、何も出なければ物音一つしない。ただ妙な冷気に襲われ、骨の髄まで震え上がった。目は見えるし耳も聞こえる。しかし、口が利けず、手足もこわばって動かなくなった。冷気は肺腑(はいふ)にまで忍び込み、まるで氷の中に寝ているようであった。


夜明けになってようやく声だけは出せるようになったのが、全身は凍えてこわばっていた。


このことがあって以来、二度と書庫で夜を過ごそうという者はいなくなった。



こうした怪奇現象は神秘的ともいえる。何よりも軽薄な劉生をこらしめるのに姿を現わすことなくしとげたのだから、奥ゆかしいともいえるだろう。



(清『閲微草堂筆記』)