薛直の死

勝州(しょうしゅう、内蒙古自治区)都督(ととく)薛直(せつちょく)は、丞相(じょうしょう)薛納(せつのう)の息子であった。殺生を好み、鬼神を恐れなかった。


ある時、管轄下の県へ出かけた。戻る途中、宿場をあと二つ過ぎれば勝州に着くというところで、都にいる友人が挨拶に来たのと出会った。薛直は友人を駅舎に招いて食事をもてなした。すると、友人は食べる前に何かを祀る仕草をした。


「何を唱えているのだ?」


薛直の問いに、友人はこう答えた。


「仏典にこういう言葉があるのを知っているかね。


『荒野に人の血をすすり、人の肉を食らう鬼がいた。仏はこれを教化して、人を殺させないようにした。そのため、人々は鬼を祀るのである』


それに、食事のたびにこうしておけば、長寿に恵まれる、とも言うしね」


薛直は、


「はっ! 君は何て愚かなんだ。そんなの迷信に決まってるじゃないか。どこに仏がいる? 鬼って何だ? 迷信にたぶらかされるのは無知な民だけだ。知性ある人間はそんなのに惑わされないぞ。君はここまで無知だとは思わなかったね」


その時、空から恐ろしげな声が響いた。



「薛直よ、汝は何と愚かなのだ。仏も鬼も認めないというのか。ならば、汝に罰を下してやろうぞ。汝は死に目に妻子に会うこともできず、この場で死ぬのだ。そうなっても、まだ迷信などと言うか」


薛直は震えあがり、その場に跪いて謝った。


「私は無知蒙昧(むちもうまい)ゆえ、神がいることを知らず、侮るようなことを申しました。どうかお許し下さい」


すると、声は言った。


「汝の命は午(うま)の刻(午後十二時)に尽きるぞ。急いで戻れば、妻子に会えるであろう。遅れれば、ここに葬られるまでだ」


薛直は非常に恐れ、友人とともに慌てて馬で勝州に向かった。次の宿場に着いた途端、薛直は疲れを覚えて駅舎の一室で少し眠ることにした。随行の百人あまりが休憩していると、休んでいるはずの薛直が出てきて馬にまたがり出立した。随行の者もあわててその後に従った。


しばらくして、宿場の下役人が駅舎を片づけに入り、寝台の上で冷たくなっている薛直を発見した。


宿場の役人は薛直の家族にこのことを告げに走った。勝州に着いてみると、死んだはずの薛直がすでに帰宅していた。


薛直は妻子を傍らに呼び寄せた。


「私は北の宿場で死んだ。お前達に別れを告げるために、体を残して幽鬼となって戻ってきたのだ」


そして、妻の手を握って


「しっかりな」


と言うと、馬に乗った。門を出るなり、その姿はかき消すように見えなくなった。



(唐『紀聞』)



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