韜光

長安青龍寺の僧侶、和衆(わしゅう)と韜光(とうこう)は親しくしていた。韜光は富平(ふへい、陝西省)の出身で、里帰りをすることになり、和衆に言った。


「私は何か月か家におりますので、近くまでいらした時にはお立ち寄り下さい」


「ええ、是非、そうさせてもらいますよ」


二か月あまり後、和衆は中都(ちゅうと、山西省)へ赴いた。その途中、富平を通るので韜光を訪ねることにした。


和衆は日が沈む頃、富平に着いた。韜光の家までは、まだ、かなりの道のりがあった。その時、道の向こうから誰が来るのが見えた。それは韜光であった。


「師匠のお越しと聞いて、お迎えに上がりました」


韜光はそう言って、和衆を案内した。一里(当時の一里は約 560メートル)ほど歩いたところで、韜光が言った。


「このまままっすぐ北へ進めば、我が家に着きます。私はちょっと用があって村の東まで行かなければなりません。師匠は先に行っていて下さい」


そう言い終わると、韜光は一人で東へ歩き去った。和衆は首をかしげた。


「どうして、手紙も出していないのに、私がここに来ることを知ったのだろう。それに、迎えに出ておきながら、私をこんなところに置いていくなんて。何とも解(げ)せんことだなあ」


和衆が韜光の家に着き、門を叩いた。しばらくして、韜光の父親が出てきたのだが、何が悲しいのか、両の目を泣きはらしていた。


「私は長安青龍寺の……」


和衆が言いかけたところで、父親は泣きながら言った。


「韜光ならば不幸にして十日前に亡くなり、村の東北に葬られました。息子は息を引き取る前に、あなたがいらっしゃるのにお会いできないのが残念だ、と申しておりました」


和衆が驚きつつも、弔いの言葉を述べた。韜光の父親は彼を一室へ案内した。それは韜光が日頃使っていた部屋であった。


和衆は韜光の父親に言った。


「実はこの村に着いてすぐに、迎えに来た韜光師と会っているのです。一里ほどご一緒したところで、師は家の場所を私に教えてから、村の東に用があるのでそれをすませたら帰る、と言っていました。その時は、まさか韜光師が亡くなっているなんて知りませんでした。あれは、韜光師の幽鬼だったのですね」


和衆の話に、韜光の両親は驚いた様子で、


「ここに来ると言っていたのですか? もしもそやつが来たら、捕まえて下さい。この目で確かめとうございます」


と頼んだ。


その夜更けに、韜光は再び現われた。彼は自分の部屋に入ると、そこに泊まっていた和衆に言った。


「こんなあばら屋で、何のおもてなしもできませんが」


和衆は韜光に一緒に坐るよう言った。韜光が隣に腰を下ろすと、和衆はその腕をつかんで大声で知らせた。


「来ましたよ!」

その声に応じて、父親と家族が飛び込んできた。灯りで照らしてみると、果たして死んだ韜光であった。


父親たちは韜光を大きな甕(かめ)の中に入れて鉢で蓋をした。甕の中から、


「私は韜光師ではありません。墓守です。あなたが韜光師と親しいことを知って、彼のふりをしてお迎えに上がっただけです。ご迷惑はお掛けしませんから、ここから出して下さい」


と助けを求める声が聞こえたが、韜光の家族は蓋を開けなかった。甕の中の声は苦しそうに何度も助けを求めた。


夜が明けてから蓋を取ると、さっと一陣の風のようなものが舞い上がった。甕の中を見てみれば、すでに空であった。


和衆は韜光の両親に別れを告げて立ち去った。



(唐『紀聞』)