厨娘

南宋の寶慶(ほうけい)年間(1225〜1227)のことである。


趙制幹(ちょうせいかん)が一人の厨娘(ちゅうじょう、女の料理人)を雇い入れた。非常に美貌だったため、主人の趙制幹はすきを見ては手を出そうとするのだが、何かと理由をつけて逃げられていた。趙制幹は満たされぬ思いで、日々悶々としていた。


ある日、同僚達と飲んでいた時のことである。話が世間の噂に及んだ。誰かが言った。


「最近は妙な事件が起こるようになったな。厨娘に化けた男が、金持ちの家に入り込んでは盗みを働いて姿を消すらしいぜ。君のところで新しく雇った厨娘は大丈夫なんだろうね?」


趙制幹は帰宅すると早速、厨娘を呼びつけ、有無を言わさずその隠しどころを探った。何とそこにはあるはずのないものがついているではないか。そう、この厨娘は男が化けたものだったのである。趙制幹は即刻、ニセ厨娘を役所に突き出した。

調べによると、この厨娘、本名を王千一といい、生まれながらの立派な男であった。幼い頃に父の手で耳輪に纏足(てんそく)を施され、女として育てられた。姿だけでなく手芸裁縫、料理など女のたしなみも仕込まれた。そして、仲買人に賄賂を贈って金持ちの家への斡旋(あっせん)を頼み、厨娘として入り込むのであった。


ニセ厨娘といっても表向きは女なので、奥への出入りは自由であった。妾達はニセ厨娘に警戒心を抱くことなく接し、昼寝などの相手をさせた。形(なり)は女でも体は男のニセ厨娘、このような僥倖(ぎょうこう)に黙っていようか。男として思う存分楽しんだ。事が露見しても、金持ちにも体面があるため役所に突き出すことはせず、解雇して両親のもとに戻すにとどめた。その時、荷物の中に盗んだ金目のものを隠して持ち出すのを忘れなかった。


趙制幹の手で突き出された王千一は斬首、その両親と仲買人は流刑に処せられた。



(元『湖海新聞夷堅続志』)