学問続けて五百年

辰州(しんしゅう、湖南省)麻陽(まよう)県に働き者の農民がいた。毎日、朝から晩まで田畑を耕して日々の糧を得て、それなりに幸せに生活していた。


ある日のこと、一匹のブタがどこからともなくやって来て田んぼに入ると、植えたばかり苗を食ってしまった。農民はカンカンに怒って、


「腐れブタめ、今度また来たらぶっ殺しちゃるわい!」


と、弓矢を持って待ち伏せることにした。


翌日、果たしてまたあのブタがやって来た。隠れている農民の目の前で、昨日と同じく田んぼに入ると悠然と苗を食い始めた。目の前でのこの狼藉に、もう農民も我慢していられず、隠れた所から飛び出すと、怒りの一発、とばかりに矢を放った。矢はみごとにブタの尻に当たった。


「プギーッ!!」


ブタは痛さのあまり飛び上がると、脱兎のごとく駆け出した。


「逃がさんわいっ!」


農民もあとを追って駆け出した。ブタは林の中へ逃げ込み、農民も林の中へと追いかけた。ブタを追って数里ほど走り続けると、よその村に出た。ブタは村はずれの一軒の家宅の門へ逃げ込んだ。もちろん農民も駆け込んだ。そこは結構な大邸宅であった。


「近くにこんなお邸あったべかな?」


農民が不思議に思って辺りを見回すと、杖を手にした白髭の老人が童子を従えて奥から出てきた。


「そこな御仁、一体何故にここへいらしたのかな?」


問われて農民が答えた。


「おたくさんとこの腐れブタ、おっとすまねぇ、あの、ブタがおらとこの苗を食っちまったで、ぶっ殺……いやいや、飼い主に一言云うちゃろうと思って追っかけてきただよ」


「いやいや、あいすまないことを致した。ブタの不始末は飼い主のわしの不始末。ここのところはわしに免じて穏便に穏便に……。して、ここまで追いかけていらしたなら、さぞかし腹が減ったことじゃろう。奥でちと食事でもいかがかな」


老人は童子に命じて農民を奥へと案内させた。農民が案内された大広間では、黒い紗(しゃ)の頭巾に鶴の羽の衣をまとった人々が、ある者は碁を打ち、ある者は酒を飲んでいた。誰もが俗人とは違う雰囲気を漂わせている。童子は農民をその中の一人の所へ案内すると、手を拱(こまね)いて(敬意を示すあいさつ)、


「おじい様、この者にお酒を一杯飲ませてやって下さいませ」


と頼んだ。頼まれた老人は、自分の徳利から手ずから酒を注いでくれた。その酒を飲むと農民はブタを追いかけた疲れや、飢えを感じなくなった。それから、童子に付いて別の一団の所へ行った。そこでは数十枚の筵が敷かれ、それぞれ一人ずつ坐っている。本を手にして、まるで講義を聴いているようである。しばらくその様子を見てから、先ほどの老人の元へ案内された。


老人は童子を叱って言った。


「お前は、何故門を開けてブタを外に出したのじゃ? ほんとに不注意なのじゃから。こんなことでは先が思いやられるわい……。その方を鄭重にお送りするのじゃぞ、よいな」


童子は農民を村はずれまで送ってくれた。別れ際に農民は童子にたずねた。


「あの、ジイ様はどなたじゃ? なんか、えらいお方のようだけんど……」


「あのご老人は河伯(かはく、河の神のこと)様ですよ。天帝の命で『易経(えききょう)』を仙人諸氏にご講義なさっておられます」


農民は『易経』と聞いて、そりゃ豊作に役立つ物かいな、と考えながら続けた。


「お前さんはあのジイ様のお弟子さんかね?」


「はい、不肖私めも末席を汚させていだたいております。まだ、新参者でこちらに参って五百年にしかなりません。ですからいまだに門番のようなことをさせられているのですよ」


農民が村を一歩出ると、童子は小石を一つ蹴って境界に置いた。農民が童子に礼を述べようと振り返ると、そこにはこんもりと木々が茂っているだけであった。



(唐『広異記』)



游仙枕―中国昔話大集 (アルファポリス文庫)

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